狂気にて辿り着く狂気

狂っていないとやっていけない。

まず話を始める大前提として、常識とは一体何なのかを考えておく必要がある。自分が当たり前だと思っていること、正しいと信じていることは万人において共通だとは限らない。赤の他人とはともかく、家族でさえも。例えば、赤信号を簡単に無視することが出来る人間はどれだけの割合なのだろうか?

社会には少なからず絶対的な常識が在る。その環境において、自分が生きていくことが厳しいと感じる。それでもその社会で生きていかなければならない。もし自分が学生だとして、学校はやめてしまっても大丈夫かもしれない。しかし働かなければ食べていけない場合は……狂うしかない。

そもそも、その様な状況でも精進する理由などあるのだろうか?いや、この様なことは普通考えない。要するに生への執着がないのだ。それでも人間は生きていかなければならないとなると、もう狂うしかない。狂ったように何かをしなければやってられない。狂うことを忘れると、一瞬で死が迫ってくる。虚無を携えて社会に生きる、屍のようなものになってしまう。

逆に……特に狂うことなく生きていける人間、彼らこそ狂っているのではないか?それこそ、生に対する常識が違うのだ。彼らは基本的に生きようとする。勿論、彼らを平面的な判断で理解しようとしてはいけない。しかし理解しようとすればするほど彼らと私との狂気を知ることになるだろう。

結局、狂ってない者などいないらしい。わざわざ自分が狂う必要などあるのだろうか?

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