特性生かしてあたりまえにやっているとき人は穏やかだ
昨日は、子どものミュージカルスクールの発表会「100万回生きたねこ」
家族のみが招待され、20分の劇をみました。
役者さんたちの本気の演技に、途中ですでに涙腺崩壊しているところに、大好きな白猫が亡くなり、自分も最後亡くなるシーン。白猫にかける愛の言葉。愛しい人を亡くして泣くシーン。黒猫役の息子。
最後は、本気で号泣してしまいました。
終了後、会場のお母さんも「泣いちゃったよー」お父さんたちも、「泣きそうでした」と、目を真っ赤にして声をかけてくださいました。
洞察系HSCの息子くん。家では、漢字の勉強が思うようにいかなくて泣いたり、ぐずったり、学校から帰っても疲れモードの日も多く、口数も少ないです。ママがHSPコミュニティーの人とお話ししているといつもお話しにはいりたくて、はいってくるけれど、その他のときには、寝る時以外、ママっ子ではありません。
家でも全然練習などしていないけれど、これまでやった他の習い事のようにぐずぐずは一切ありません。
帰宅後も、感想をいっても特に反応なし。「当たり前のことを当たり前にやっただけ」みたいなあり方をしています。
もしかすると、「人は当たり前にできることを当たり前にやっているとき、その人の人生を生きているのだ。」「特性生かしてあたりまえにやっているとき人は穏やかだなのだ。」なんだか、そんな風に言われたような気がしました。
これからは都内で大人数のグループのアクターズスクールに入ります。
今後も、当たり前に演じられる、この感性を生かして伸ばして行ってほしいなと思います。たくさんの大人たちが感情を感じられることに、力になれるような気がしてなりません。
写真は、猫役で、壁ひっかいている様子。
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