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若狭勝さん、とりあえずお手元の「緊急停止ボタン」を押してみてはくれませんか?

 前回、テレビによく出る哲学者の萱野稔人はとんだインチキ学者さんだと言ったのは、あのオウムの死刑ラッシュの時、「死刑廃止論についてはそれはそれで別で話せばいい」などといっていたからです。
 むかし小学校のセンセーが
「家に(無事に)帰るまでが遠足ですよ、だから気を付けて帰るんですよ」
などと仰っていましたが、法律はその運用までも含めてが法律なのです。
 実際のところ世界の「死刑」の存置・廃止の現状を説明するときに「事実上」という表現によくぶつかります。つまり条文は改正していないけど、執行は停止状態にあるということです。もっといえば先進国といわれる国の中で死刑を存置しているのは日本とアメリカぐらいですしアメリカは州によっては廃止または停止状態なので完全存置は日本だけ。EUなどは死刑廃止が加盟の条件だったりしますし、海外逃亡犯の引き渡し国合意国が少ないのは死刑があるからです。
 そんなわけで考えうる死刑廃止論側のいちばん積極的なアクションは、今、目の前にいる死刑囚も死なせないことなのです。そもそも判決が確定してから何年も執行されないこと自体が刑事訴訟法違反なのですから。
「家に帰るまでが遠足問題」はマイナンバーや銀行や携帯電話など昨今のシステム障害問題や問題にも当てはまる「哲学不足由来案件」ですが、それらは次回から説明するとして、いまはとりあえず人の命にかかわる問題についてふれておきましょう。
 まずは
「死刑の執行を無期限で停止しましょう」

大臣がハンコ押さなければいいだけの話なのでなにかと組織が硬直化しがちなわが国においても意外にも実現可能性のある施策ではないでしょぅか。
 「精神鑑定」などという単語を聞いただけで怒り狂うエセ正義漢の方々も、「あいつの執行はまだか?」などとせっついたりしません。なぜなら「エセ」だから。逆に刑が執行されたあとに被害者遺族にインタビューにいくと「事件がなぜ起きたのかわからないまま執行されてしまった」と嘆くすがたを見たのも一度や二度ではありません。エセ正義漢はもちろんですが、国も制度も実は被害者にもよりそっていそうでいないようにみえます。

 先々々週のラジオ番組で映画評論家の町山智浩氏が和歌山カレー事件を題材にした映画「マミー」を紹介するはずが、映画会社からのストップがかかり中止になったと言っていました。
 和歌山カレー事件といえば、5年前のいまごろの同事件の確定死刑囚の長男という人物がツイッターを開設したことがマスコミでとりあげられた時、事件について、いわゆるヤメ検弁護士の若狭勝氏が
「検察は一度調べなおしたほうがいいと」
とテレビでコメントしていました。
 ニュースなどに興味のない人にはあまり知られていませんが、冤罪が疑われる案件なのです。
 死刑だけでなく、刑事裁判は疑わしきは罰せずが大原則です。
 法曹関係だけでなく他の分野の専門家の中にも疑問呈している方々がいます。

 「毒の事件簿」~歴史は毒でつくられる~齋藤勝裕著
という対象は中高生から大人までみたいな夏休みの課題図書みたいなノリの読み物でも「和歌山毒物カレー事件」をとりあげていて
直接証拠ゼロ、
自白ゼロ、
動機ゼロ
という、極めてあいまいな判断基準しかないことがわかります。
とその項を結んでいます。
 菅田将暉、山田孝之のW主演のドラマ「Dele」の第七話でも、あきらかにこの事件がモチーフだとわかるストーリー展開です。主人公たちは真相がわからない釈然としない気持悪さをかかえた状況の中、刑が執行されたという電話連絡を受けてエピソードは終わります。

 「ゴキブリを一匹見たらその30倍いる」という由美かおるさんが出演していた昭和のCMのコピーは統計リテラシーの初歩の初歩を示唆してくれているといえますが、冤罪事件の再現または検証番組などを観るにつけ、ほぼすべての事件にあてはまる、
「薄氷からの奇跡の生還」
ともいえるもはや定番化してしまった構図を考えるとまだまだ埋もれた冤罪案件あるのだろうと容易に想像できます。

 ここにきて大分県宇佐市で起きた強盗殺人事件の逆転死刑判決とか大川原化工機の悲劇ですとか、角川歴彦氏が「人質司法」で国を訴えた件など考察または再考すべき材料は揃っています。
 大分の事件も和歌山の事件も「動機」の解明については有罪の条件ではないとしているのもかなりひっかかります。これは先述の被害者遺族のかかえる問題にも通じます。

 人質司法もそうですが、鹿児島県警の不祥事におけるマスコミへのガサ入れなどを見るにつけ裁判所と検察、警察がつるんでい関係性など、そもそも冤罪が作られやすい構造が日本にはあります。こないだのNHKでは法医学のおかれた冤罪を作られやすい状況にについてのドキュメンタリーがありました。今後は改悪でさらに冤罪が増えそうな状況だというまとめでした。
 シンプルなはなしとして、冤罪の可能性が疑われる状況では死刑の執行がなされるべきではありません。

 かつてライムスター宇多丸氏がMCをつとめた「1924」という番組で死刑についてとりあげたことがありました。某漫画家の娘という謎の肩書きであちこちに出演していたコメンテイターが「冤罪くらいで死刑を廃止すべきではない」などという恐ろしいことを言っていたのですが、特にそれに反論は出ないまま番組はおわりました。「江戸しぐさ」と同様、20世紀生まれのフィクションである「武士道」を本気で信じ、依存症の存在を軽視しているくせに自分はリベラルだと思いこんでいるカリスマヒップホッパーはリベラルにとって厄介な存在かもしれません。

 ふと思ったのですが、「非常ベル」は誰でもいいから最初に気づいた人が押せばいい。でもある程度の拡散力、または影響力のある立ち位置からのボタン押しでないと、なかったことになってしまうのがおちです。
 逆に先述の若狭勝氏は立ち位置、影響力、専門力、すべての条件がそろった人物といえます。「非常ボタン」はそのまま「緊急停止ボタン」にもなりえます。
 テレビに出ているというのはいまだ圧倒的な影響力もっています。かのひろゆき氏は同時配信可能数の見地から日本においてはいまだ放送が少なくとも規模においては最大のメディアなのだと言っていました。
 そもそもはなし、司法改革は必要なのです。「御殿場事件」について知ったとき、私ははじめて選挙で最高裁判官で×をつけました。

そんなわけで各方面の方々もボタンを押してみてください。

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