減る家族

うちの両親はそれぞれが毒親育ち。毒親同士が結婚して生まれたわたしは、アダルトチルドレンのサラブレッド(世代連鎖)です。わたしの家族は、5歳下に弟と、7歳下に妹。DVモラハラパワハラアル中の父親と支配的でネグレストな母親。家庭にも学校にも居場所のない闇の小学校時代を、4歳までの母親との楽しかった記憶だけを糧に反芻しながら過ごしましたが、私立中学への入学が第一の転機となります。そこから私立一筋で大学へ入学し、家から逃げるように結婚までこぎつけます。(お父さん:義理父)


Kくんのお父さんは3人兄弟の長男でした。
うちの父親も兄弟2人の次男でしたが兄弟仲が非常に悪かったので、自分の家庭もあるのに実家によくやってくるKくんのおじさんたちは、わたしの目には奇妙で気持ち悪く映りました。
ある時はうちで車を洗っていたり(水道代!!)、ご飯を食べていたり、さすがにわたしが家に入ってからは減りましたが、やはりたまに実家に寄っているようでした。郵便物もしばらく届いていました。

そのおじさんのひとりが(三男さん)亡くなりました。
乳がんでした。

大学の頃、私の曽祖父が亡くなったあとすぐにKくんもお祖父さんを亡くし、おばあちゃんはその時も「おじいちゃんに顔がなくなっちゃった」と悲しまれたそうですが、今回は子供の骨を拾うことになり、「順番が逆だ」と悲しまれました。

おばあちゃん自身も透析で週3回病院に行っていましたが、お父さんのパーキンソンの症状も進んできて病院への送り迎えもできないので施設に入られました。

おばあちゃんは誤嚥性の肺炎で亡くなりました。

その1年後、お父さんも自発的な呼吸ができなくなり、順番を守るかのように亡くなりました。
人工呼吸器をずっとつけていたお父さんの口元は大笑いしたような顔になっていて、わたしたちは「お父さんらしい」と泣きながら笑いました。
パーキンソンの薬で痴呆みたいになってしまうので、ちゃんと意識がしっかりしているか、医者に「お子さんは何人ですか?」と聞かれるのですが、素で「3人です」とわたしを数に入れていたお父さんでした。

妹さんは真剣に結婚を考えていて、たぶんお父さんに孫を見せたいと考えていたようでしたが間に合いませんでした。

わたしたちは子どもを作るつもりがありませんでしたので、妹さんはそれを察知してくれていたのだと思います。


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