毒親度の一番低かったと思われるじぃちゃんの死

わたしを取り巻く毒家系。一番毒が低かったと思われる父親の父親(じぃちゃん)はわたしのきょうだいの中で、わたしを一番かわいがってくれた。
出来の悪い中卒次男坊の父親は、インテリ兄貴より先に19歳で結婚したのでわたしが初孫になる。

3歳くらいのときに父親のDVで母親がわたしを連れて裸足のままアパートを飛び出し、公衆電話からじぃちゃんに助けを求めたりしていた、という記憶もある。
じいちゃんは車で迎えに来て、父親の実家に連れて帰ってくれた。(父親と母親はいとこ同士・・・というのをはっきりと知ったのも数年前)

父親の実家は旅館を経営していて、父親の趣味の店もその近くにあった。曾祖父母と父親のお兄さんはその旅館で暮らし、じぃちゃんは旅館の隣の家から旅館の仕事に通っていた。
わたしの家族はそこから車で15分程離れた小さい間取りのアパートに住んで、父親は仕事場、わたしは父親の実家の地区の保育園へ通っていた。ご飯やお風呂は父親の実家の旅館で用意してもらうことも多かった。

5歳のとき父親の実家から車で10分くらいのところに父親の趣味の店兼住居を建てて引越をした。
引越後、母親は父親にモラハラを受けつつも免許を取得したので、DVで家を飛び出した時に向かうのはもっぱら母親の実家になった。

車で10分とはいえ、離れて暮らすようになってからもじぃちゃんは月に1度くらい家に来てお小遣いをくれることもあった。
小学校に入学する時には学習机かランドセルか買ってやるといわれて、ランドセルは一番安いものを両親がすでに用意していたので、机を買ってもらった。

でも弟と妹が生まれてからは来るのは誕生日とクリスマスくらいになり、全く甘いものを口にしない父親が当時のバタークリームケーキに文句を言ったのかどうなのか、ケーキですらなくなり、やがて来ることもなくなった。
実家ぐらしの父親のお兄さんの方にも孫ができたりしたから足が遠のいたのかもしれない。

わたしが中学生になって、年に1,2回ばぁさんの観光客相手のお店を手伝いに行ったときに、じぃちゃんばぁさんに頻繁にお金やお菓子をねだりに来るいとこを見かけて疎ましく思っていた。
仲が悪い親の兄弟のこども(いとこ)同士、自分の弟妹以上に年も離れていたので仲が良くなるわけがなく、いとことは口を聞いたこともない。

そんなじぃちゃんと最期に会ったのは結婚の報告に実家に帰った20年以上前。父親にKちゃんとふたり車で連れていかれた。
そもそも18で家を出てから実家にすら片手の指で数えられるほどしか帰ってないので、それが最後になった。

コロナがまだ影も形もなかった2月。
高血圧な上、部屋の中と外に境目がないような古い家で、お風呂は追い炊きが必要だった。
ヒートショックというやつだ。
お風呂に浸かったときにはすでに意識はなかっただろうという話だった。
追い炊きをしていたので湯だってしまった。

じぃちゃんが亡くなった連絡は父親からきた。
お葬式に行く、と返事をしたら少しうれしそうだった。
(あとでわかることだが、家族からの参列はわたしと父親だけだった)

お葬式のときに、ばぁさんが「おじぃちゃんは最近ちょっとボケてきていて、トイレも阻喪するようになっていて・・・」と言っていたことに少し違和感を覚えた。
父親もじぃちゃんの死は悼んでいるようだったけど、遺されたばぁさんのことは何歳なのか、今どうしているのかなど聞いても「知らない」の一点張り。
相変わらずお兄さんとも必要最小限の会話すらしていたかどうか。
わたしもあれはいとこだろうとは思う人はいるものの話しかけることもできずぽつんと一人になっていた。

じぃちゃんの死を知らせる父親の連絡を受けてからずーっと、実家ともじぃちゃんばぁさんともなんの連絡も取っていなかったことを悔いていた。
もっと頻繁に連絡しないといけないな、前回話したのが20年前とか。
おじぃちゃんにはかわいがってもらったのに、申し訳なかったな。
とまだ毒親・世代連鎖について知らなかった私は反省した。

せっかく実家と全く接点もなくなり、自分の生活を築きつつあったのに、このとき実家と連絡を取るきっかけを作ってしまった。





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