【殴り書き】「人を好きになる」ってどういうこと?【ややセンシティブ】

お久しぶりです。中学生男子みたいなことで日々悩む筆者です。
スポーツ記事や旅行記事でフォローして頂いてる方には大変恐縮な記事内容になることを予めご承知おきください。ややR18かつ厨二病です。

そもそもなぜこんなことで悩んでいるのか

一応筆者はアラサー男子です。周りの友人も同年代が多いので、それなりに結婚適齢期ですし、SNS等で"ご報告"を聞いたり、順調に交際している様子を聞くことも多いわけです。
そんな中で、体調が整わないことを言い訳に、一般的な仕事に就けず、就労支援機関で稼いだ小銭は趣味にほぼ溶かし、自分磨きもろくすっぽしないだけのわりとダメ人間サイドの自分としては、まともに交際とかをしようと思ってもおそらく「相当な物好きが拾ってくれる」ことくらいしか期待できないな、という半分諦めの境地にいるわけです。
実際のところ結婚願望があるのか?とか、交際をしたいのか?という点は後ほど触れますが、世間体的になんとなく焦ってる、という現実は存在すると思います。

なにが問題なのか

大きく分けてこの話には論点が2つあって、1つ目は「自分の人を好きになるなり方が"暴走気味で不適切"である」こと、2つ目は「そもそも自分は人を好きになって何がしたいのかがわからない」こと、その2点かなと思います。

並在する問題A「人を好きになるプロセス」がヤバすぎて「好き」がわからないという話

自分の中で「人を好きになる」ことそのもののプロセスがまずい方向に働いている結果、「人を好きになる」ということへの障壁が少なくなって、結果的に「軽率に好きになる」ので、じゃあ「好き」ってなんなんよ、というのがわからなくなっている、という仮説を立てます。

根本的な問題1 「人に気を許しすぎる」


まずひとつ目に考えられるのは、「人に気を許しすぎる」ことだと思います。わりと性善説ベースで生きている傾向があり、人の善意に触れるとすぐ懐いて好意的になる(いわゆる「チョロい男子校出身者」を想像していただけると)性質を持っています。いわゆる八方美人で誰にでも優しい「姫」の
タイプとか、わりとガチ恋しがち。

根本的な問題2 「対人距離がガバガバ」


続いて挙げるのが、自分の病気由来のところもあるのですが、わりと対人関係の距離の取り方、詰め方、離れ方がわりと常人離れしている部分です。仲良くなったなとこちらが判断したら一気に距離を詰めてしまうし、それを向こうが「あっ大丈夫です」って離れると、こちらが悪いのに勝手に幻滅して気落ちする、みたいなことがかなりの頻度で起こります。人間関係のスクラップ・アンド・ビルドが頻繁すぎるとはよく言われたものです。

根本的な問題3 「性欲が強すぎる」

これは大変お恥ずかしい話なのですが、性欲の強さでかなり悩むことはあります。その辺を歩いている異性が性的に魅力的に見えてしまって困ったり、自分の周囲の友人関係でもそういう目で見てしまうことがしばしばあります。かつてはセクハラで失った友人の数も相当多く、性依存を疑って外来に行くことを検討したレベルです。

根本的な問題4 「限界なSNS界隈では比較的まともに振る舞えている」


そんな「問題だらけ」の自分ですが、自分が居場所として属しているSNSの「界隈」は、相当常識外れの魑魅魍魎が跋扈する場所らしく。ある程度女性比率が高いのに加えて、文章や常識でのリテラシーがない人が相当数いるようで、女性フォロワーと話していると、「リプライやメッセージである程度常識的な話し方をする」だけである程度まともな人間と錯覚してしまう、みたいな話を聞きました。
実際「異性のフォロワーとご飯に行く」みたいな話になったときの段取りや店の選び方もそんなに大きな間違いをしたことはない(別にめちゃくちゃセンスがいいわけでもないのですけどね)ですが、それだけで評価が相対的に上がるんだそうです。中身はやばい人間なのにね。

以上の悪魔合体⇒「人を簡単に好きになる」

そんなわけで、以上の要素を因数分解するとこんな感じになるでしょうか。

・("人に気を許しすぎる"+"距離ガバ")/2=「ガチ恋をしやすい」
・「ガチ恋をしやすい」+"性欲が強い"=「"姫"を性的に見てしまう」
・"SNSで比較的まともっぽい"*「"姫"を性的に見ちゃう」=「"行けるやろ"で特攻しちゃう」

うわ地獄か。
とかく、「人を好きになる」ことが何かは定義できなかったけれど、仮定でおいたそこまでのプロセスと原因が不健全で短絡的だな、というのはわかりますね。
ただ要素はわかってもなんでそれが「好き」なのかははっきりしないな。

並在する問題B「人を好きになってどうしたいかわからん」という話

じゃあ人を好きになる、ということが何なのか仮にわかったとして、実際何がしたいのかわからんとはじまりませんよね。
好きになった人とやりたいことベースで考えるのが早いかもしれません。やってみましょう。その際に、逆にそれが「好きな人じゃなくてもできるか」についても触れます。

やりたいことその1 「ありきたりなデート」

まあ普通にデートはしたいです。お昼ごろ集まってランチ食べて、ちょっとSNS映えしそうな街をお散歩したり、関係性によっては鉄板デートコース(プラネタリウム・水族館・博物館なんかを相手の好みで)をふらふらして、途中でお茶しておしゃべりして、時間帯によってはそのまま夜ご飯食べて解散、みたいな王道なやつ。
でもこれ、全然好きな人じゃなくてもできるやつです。普通にオフ会で知り合ったそのへんの初対面の異性でもできるし、なんなら行く場所によっては同性でも全然楽しめそう。(ちなみにぼくは基本的に今はヘテロセクシャルです。今は(ちょっと強調)。)ただ、やってて一番楽しい相手は、それこそ「姫」として周りからちやほや囲われている人かもしれません。

やりたいことその2 「H」


いや直球でごめんなさい。そりゃやることはしたいです、普通に。ただ、結構これ筆者の場合は特殊で、ある程度好感度が高い、というか相手のことをよく知っている人であれば、恋愛感情を持っていなくてもそういう対象として見れますし、逆に見ず知らずの人と行きずりで、みたいなのはできないですね。もちろん好きな人とするのは格別なんでしょうが。
あとわりと生々しいことをいうと、いわゆる「避妊をしない性行為」にかなり強い憧れがあります。完全に性欲由来ですが、(少なくとも男性側にとっては)めちゃくちゃ快感を伴うという話なので。

やりたいかどうか微妙なことその1 「結婚、ないしその先」

いきなりスケールの大きい話になってごめんなさい。正直結婚したいかどうかは微妙、というかかなり否定寄りかもしれません。これは今の段階だから言える話なのかもしれませんが、だって自分が今誰か他の赤の他人の人生を背負えるかっていったら、経済的には少なくともNOなわけですし、精神的にもかなり難しいなという思いがあります。まして子育てとか、ねぇ。
ただ一方で世間体的な焦りとかもあります。幸いにして自分は家庭からの大きな干渉があるわけではないのでそこは助かっていますが、周り、見ちゃうと、ね。

やりたいかどうか微妙なことその2 「恋愛」

結局、デートだって性行為だって、相手さえ選べば別に「恋人」でも「恋愛的に好きな人」でもある必要がないことが上記でも分かりますし、特に結婚をしたいわけではないということで、そもそも「恋愛」をしたいかしたくないかでいうと、「したい」のかもしれないけど「する必要がない」というのが正解なような気がします。
恋愛をしたらたしかにデートも性行為も一定の一人の好きな人といくらでもすることは可能ですし、それはきっと人生を豊かにするのでしょうが、必ずしもいいことだらけではないし、上記の2つだけ満たすため、だとしたら、わざわざ心理的コストをかけて恋愛するのは大変だと思います。

以上の結果⇒「人を好きになろうがなるまいが、やりたいことは一緒」

結局、一般的に好きな人とするようなやりたいことはあるけれど、それに「人を好きになる」とか「恋愛」とか「結婚」が必ずしも相関しないというとがわかりましたね。
ただ、先程の段落で見た「わりと簡単に人を好きになる」のと整合性が取れてないのがあれですね。

結論「人を好きになりやすい」「でも人を好きになっても意味がない」


筆者の特性的に、「人を軽率に好きになる」という面はものすごく強く出ているのですけれど、一方で「人を好きになることで何ができるか」は変わらないので、そんなに大きなメリットがあるわけでもないのかな、というふうに思いました。

以上です、最後まで長文読んでいただきありがとうございました。
寝る

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