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人気ジブリ映画『もののけ姫』を見てしまった

みなさんおはようございます、ユシアです。

実は僕、ジブリ映画にとても疎いです
映画館で見たことがあるのは『千と千尋の神隠し』のみ。
それ以外の作品で、最後まで見たことがあるのは『となりのトトロ』『火垂るの墓』くらいでしょうか。
(『火垂るの墓』はジブリ作品ですが、ちょっと特殊ですよね…。)

よく『天空の城ラピュタ』がテレビでやると、Twitterで「バルス」が流れると有名ですが
ラピュタは全く見たことがありません。
「最後までは見たことがないけど、チラッとは見たことがある」というレベルではなく
本当に一切見た記憶がありません。
あの男の子と女の子が主人公なのかな、とは思っていますが、その2人の名前も知りません…。

ということで、日本人であるにも関わらず、ジブリの知識が全くなかった僕ですが
昨日ついに『もののけ姫』を見ました。
(本当は映画館に行きたかったのですが、ここ最近の時世を考えると
 ちょっと外出しづらいかなと思って、家で見ました…。)

『もののけ姫』は本当に人気のある作品ですし、メッセージ性のある映画なので
「見たらきっと考察したくなるだろうな〜」と思いましたが

案の定考察したくなった!

もののけ姫って環境問題に関するメッセージを持った映画なのかな、と思っていましたが
実際は全然違いましたね。
いや、「自然」と「人間社会」の立ち位置を考えさせられるものであったことは確かです。

「自然」の象徴となっているもののけ姫こと、サンと
「人間社会」の象徴となっている、エボシ様とタタラ場の人たち
そしてその中立の立場である、主人公のアシタカ。
もっと細かく分けると、さらに対立する立場の人たちがいますが
大きく分けるとやはり「自然」と「人間社会」の対立が描かれていると感じました。

それについてもとても語りたい気持ちはあるのですが…
僕が思ったのはここです。

アシタカ、サン、エボシ様(タタラ場の人たち)
この3者は全て世間から捨てられた人なんですよね。

アシタカは自分の呪いを解くために、自分の意思で自分の村を出てきたわけですが
見送られることもなく、深夜にこっそりと村を出て行きました。
どちらかと言えば「アシタカが村を捨てた」という感じですが
あの雰囲気であれば、村に戻ってまた村人に迎えられることはないのでしょうし、それを考えると
「アシタカが村人から捨てられた」とも言えるのではないでしょうか。

そしてサンについては、モロが以下のように語っていましたよね。

「森を侵した人間が、我が牙を逃れるために
 投げてよこした赤子がサンだ!」

サンをモロへ向かって投げた人物が誰なのかは、作中では明らかにされていなかったと思うのですが
両親、またはそれに準ずる人に、モロへ生贄に捧げられたと見て間違い無いと思います。
つまりサンは捨てられた子供であるわけです。

そしてタタラ場の人たちについても、一字一句は覚えていないのですが
「他では差別されてきたけれど、エボシ様は自分たちを人間として扱ってくれる。」
と言ったような台詞があったと思います。
つまり彼らにとってエボシ様は英雄であり、自分たちの生活を守ってくれる大切な人なんですよね。

この3者3様の立場があり、その結果「争い」が生まれてしまっていることが
この作品の大きなポイントなのかな、と思います。
というのも「平凡な生活をしている人」は大きな対立を起こすことってあまり無いと思うんですね。
「過去に酷い扱いを受けた」という経験から、自分の立ち位置について深く考えることがあり、そして今の自分を誇りに思い
その強い思いが「行動」となって、別の立場の人間と対立する。
そういった様子が描かれている作品なんだな、と思いました。

もっと語りたいことはあるのですが、深掘りするには何度も観ないといけない作品だと思います。
もし子供の頃にこれを観ていても、僕はこの映画のメッセージを深く考えることはなかったでしょう。
と考えると、この年になって初めてこの映画を見たのは悪くなかったかなと思います。
ジブリ作品については情報も多く、宮崎駿監督の意見なんかも探せばもっと見つかると思うので
もしかしたらまたこの作品について、考察記事を書くかもしれませんが
今日はこの辺りにしたいと思います。


20代後半ゲーム好き。Youtubeにてゲーム実況を始めたばかり。好きな人と好きなことをして生きていくことが目標。