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カウントダウン

ちょっとだけ、重たい話をします。

同年代
もしくは
ちょっとだけ歳上の人

同じ時代を生きてきた人達…

訃報が増えてきました。

Xのフォロワーさんに、もう長くはないと言われながらそれでも、「生きよう」としていられる方がいます。

その方は「弱音」を絶対吐かないし、
作品にも「影」すら表しません。
自分では偏屈で変わり者、とおっしゃりますが私には謙遜にしか見えません。

私はこの方からまだ、たくさんのことを教えてもらわなきゃいけないと思っています。

この方の作品を見るたびに
私はまだ「死ねない」と思うのは
この方をまだ、半分も知らないから。

生きて欲しい!生かしてほしい!
Xのタイムラインの波を泳ぎながら
ポストを探す日々。

恐らく、歳下
それでも、私の「師匠」なのです。

訃報を聞くたびに
亡くなった人の年齢を聞くたびに
「死」へのカウントダウンが始まってるように感じてしまいます。

何か、やり残した事はないか?

気づくと
もし、明日の朝、目が覚めなかったら、
やりかけのもの、どうしょう…
そんな事、ふと、思うようになりました。

不登校、起立性調節障害を克服した息子への心配が減り、ちょっとだけ、空いた心の隙間に入り込んだ、死への恐怖

まだまだ先、なんて思ってた『年』が近づいてきた…ような気がして。

『死』はいつかはくるもの、
その時期は、いつか、なんてわからない

去年、大腸がん(初期)を宣告されて
「あはは、初期だから」と笑ったけど
本当の所は…

幸いにして
初期の初期で問題なし。

”私はいくつまで生きられるのだろう”

私はどんなに辛くても
自分から命を断とうとは思いません

鬱になり、幻覚と幻聴に苦しみながら
「楽になりたい」と思っていました。

楽になるために、薬を飲んだし、通院もしました。

一度だけ「死にたい」と言いました。

悲しそうな夫を見て
死ぬことよりも生きることに
力を注ごうと思いました。

私が元気になるようにと
頑張ってくれてる人がそばにいる。
この人を悲しませたらいけないと。

”私はいつまで生きられるだろう“
”私はいつまで生かしてもらえるのだろう“

訃報が流れるたびに思うけど

いつきてもいいように
『今』を精一杯、生きよう!

と思い直してます。

焦る事ない
私の順番はまだ来ないはず。

私は明日もきっと
「あー、なんか、モヤモヤする」と
いいながら目を覚まして
息子の朝ごはんの支度して

愛猫達を撫でくりまわして
引っ掻かれて

朝の陽射しを浴びながら

Xに
「おはようございます」とポストするのです。

当たり前が当たり前ではない朝を迎えて

いってらっしゃい
おかえりなさい
ごはんだよ!
早く寝なさい!
おやすみなさい

挨拶交わして
眠りにつく

心に不安を持ちながら
大丈夫大丈夫と言い聞かせ

ゆっくり目を閉じる
明日も来る
明日はきっと明るい日になるさ
…と願いながら…

重たい話を
最後まで読んでいただきいただき
ありがとうございました。

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