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短編[あの日]

それは突然だった

通勤途中の電車の中
ぼーっと、外を眺めていた

なんて事のない景色
いつもと同じ景色

“今日も残業しなきゃなのかな”
ここの所、仕事が忙しい。

“先輩は仕事が好きなんですね”

後輩はニヤリと笑い
「すみません、これからデートなんで」
ブランドもんのバッグを私に見せつけるようにして、こちらの返事も聞きもせずに、
さっさと退社していった。

“あの子ってば、本当に…”

先輩達もため息をつく。
手に負えなくなり、私におはちが回ってきた。

“いやいや、私のような者に人を教育などできません”

私は思い切り抗議した。

“冗談じゃない!ただでさへ忙しいのに!”

だけど、私の懇願はスルーされた…


“先輩は仕事が好きなんですね。
このまま、仕事と結婚しちゃうのかなぁ”

車窓にあの子が映り、嘲笑う

❗️❗️

“あぁ、そうですか!わかりましたよ!”

私、仕事と結婚するつもりなんて
全くない!
できたら早く辞めて、専業主婦になりたいんだわ!

会社の人は誰も知らないが、私にだって、彼氏はいる。
彼氏とは、もう、7年付き合っている。

お互いに忙しくなってしまい、最近は会えていない。電話もできていない。

ふざけんな!
私だって、仕事を放り出し…

うん?
放り出す?

そうかそうか

私は車窓に映るあの子の笑顔に向かって
ニヤリと笑った

電車は静かに駅に着いた。
会社の最寄駅ではないけれど
満員電車の人並みを掻き分けて
電車を降りた。

“知らないもんね!”

私は反対ホームの電車に乗り込んだ

ガラガラな車内
天井の扇風機が中吊りを揺らす

電車はゆっくりと走り出した。

揺れが心地よく
夢の中に…

「終点!E駅です」

車内のアナウンスで目を覚ます。

わぁぁ〜海だあ〜

潮の匂いが体に絡みついてきた。

駅の改札を抜けて、海へと向かう。

波の音が近づくに連れて
全てのことがどうでもよくなってきた

元々、私の仕事のほとんどが
あの子の事で埋まってしまっていた。
その為に残業が増えた。

上に掛け合っても
まぁまぁと…

そのおかげで彼に会えなくなっている。

懐かしい海の匂い

そう、ここは彼との思い出の場所。
二人で海に沈む夕陽を眺めた場所。

同じ夕陽を眺めながら…

無性に彼に会いたくなった…

カバンからスマホを取り出した。


“はぁ”
スマホ画面には着信が溜まっていた

“先輩!何処ですか?早く戻ってください”
甘ったるいあの子の留守電も入っていた。

社会人として仕事を放り出してはいけないのはわかっている。
だけど、私ももう限界だったのだ。

私の話も聞かないあの子
私の懇願を聞いてくれない上司

もうやってらんない!
知らない!

全部無視をして
彼へのメールを書いた。

時刻はお昼ちょっと前

“わかった”

彼からの返信はすぐにきた。

彼が来るまでの数時間
近くの雑貨屋さんに入ってみたり
海を眺めながら、コーヒーを飲んだ。

こんなにゆったりした気分は久しぶりだった。

一人になって、仕事から離れて、私はゆったりとゆっくりとこれからの事を考えた。

あの子の子守りはもうたくさん!
このままの体制が変わらないなら
私は退職する!

ぐるぐる回る思考の果てに
たどり着いた結論は、揺るがなくなっていた。

喫茶店を出て、海岸へと向かう。
夕焼けが海を照らしていた。

海水浴客はもういない
波間を漂うサーファーがいるくらいだ。

石の階段に腰をおろし
夕陽を眺めていたら
“あの日”を思い出した。

そうだった
ここから始まったんだった。

夕陽が少しずつ
海へと沈みかけた頃だった。

「懐かしいなぁ!あの日と一緒の夕陽だ」

そんな声と共に
「やぁ、お待たせ!」

彼は私の隣に腰をおろした。

「ごめんね、忙しいのに…」
「いや、大丈夫だよ。それよりどうした?」

私は最近の後輩の話と今日の事を話した。

「そうか…大変だったんだな…」
「で、一日、色々考えて…」
私はさっき決めたことを話した。

「…」
彼は怖い顔して黙った。

“やっぱり無責任すぎるかなぁ”

俯く私に彼は覚悟を決めたように
口を開いた

「いつか、言わなきゃいけないと思っていたんだけど…なかなか、勇気が出なくて…」

“えっ?まさか、別れ話…”

震える声で
「な、なに…」

「あのさ…会社辞めるならさ…」
「う…ん」
「えーっと、結婚しないか?」
「えぇぇー!」
「前から言おうと思ってたんだけど…
い、嫌なら…」
「嫌なわけない!」
私は叫んでしまった
「よ、よかった。それでさ、実は、
俺さ、海外赴任が決まったんだよ、それでも着いてきてくれる?」
私は泣きながらうなづいた。

意外な流れになり、ちょっと戸惑ったけど、
これで後腐れなく、会社を辞めれる。
海外赴任なら、止めることもできないだろう。

ふふふ…

“あの日”の場所で新しい“あの日”が始まるのだ。

夕陽はすっかり落ちて
月が波間に揺れていた

“好きです!付き合ってください”
あの時も月が波間で揺れていた

今度はいつ、ここに来るのだろう。

“いつでもおいで”

海が優しく囁いた。


カバンからスマホを取り出す。

“先輩〜助けて〜!”
悲痛な後輩の留守電が入っていた。

さぁーて、
新しい生活の前に
きちんと後片付けしなきゃ。

私はスマホのリダイヤルを押した

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