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伝えたい朗読

朗読という物に興味を持ったのは
昨年の夏頃だったと思う。

詩をXに投稿していたら
朗読をする人に出会った

新たな表現方法に
ちょっと興味が出た。

ただ
私の中で『詩を書く』ことと『朗読』は
全く別の物

当時の私は思っていた

誰かの口から発せられた『朗読』には
誰かの『気持ち』が入っている

書き手の想いとシンクロすることもあるだろうが違う事もあるだろう。

私の思った気持ちと書き手の気持ち、読み手の気持ちが違っても面白いな。

そんな風に思ったら、誰かに自分の詩を読んでほしいと思った。

『自分から読んでください』

なんて恥ずかしくて言えず、もじもじと
月日ばかり過ぎていった

「読ませていただいていいですか?」

声がかかった時は嬉しかった

著作権の問題で他人の詩を朗読することが難しいと聞いた。
私は正直、このやりとりが煩わしくなった。色んな人の感じた読み方を聞きたい気もしたが…

そんな時に自分で読むというきっかけをもらい、朗読を始めた。
人前での朗読は反応がすぐわかる

怖い…
しかめ面
じっと見つめる目

ひゃぁ〜〜
心が怖がる

ぎゅっと
見えない塊を握り、言葉を発する

「ほら、また、もう一度」

母は音読の鬼だったことを
ふと思い出した。

「もっとゆっくり」
「声が小さい」
「もっと抑揚をつけて」

小学生の頃の音読
宿題じゃなかった音読

「声に出すと情景が浮かぶでしょ?」
「宿題じゃない」
「宿題だけが勉強じゃない」
母の鬼コーチは毎日続いた

「はい、次読める人」

先生がいうが誰も手をあげない
キョロキョロして恐る恐る手を挙げる

「じゃあ、お願い」

読み終えて
(あぁ、つっかえた、声が小さかった)と
落ち込んでたら

「よくできました。上手でしたね」

そんな記憶がふと蘇った

ふーっと、深呼吸して読み始めた
景色がぼやけた

私は一語一句をゆっくり読むようにした。

言葉に傷つけられてちょっとだけ、トラウマがある私は言葉の大切さをよく知っている。

だから、淡々と間をあけて読む。
怒鳴らない
シャウトしない

だって
『朗読』であって
『歌う』わけじゃない

聞き手に色んなものを想像してほしいから
ほとんど棒読みで読む

私は気が散りやすいから
朗読に音楽はいらない

音楽と詩は私にとってはシンクロしない

詩と音楽が分割して散らばってしまう

不器用だから
音楽があると音楽に気持ちが入ってしまう

「声が小さい」

母の声がいつも響く(笑)

気持ちを詰めた詩をせっかく読むんだから
みんなに聞いてほしいよね
だったら、聞こえるようにね

誰に言われか忘れたけど、
朗読前に、必ず思い出す。

手や足が震えても下を向かない
一語一句を区切りながら
声は大きく…
気持ちが昂ってシャウトはしない。

それだけはこれからも続けていくつもり。

長い文章を読んでいただきありがとうございました。

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