かつての日本の繁栄地帯*北前船ルートの生活や文化に学ぶ
現在の日本の経済や人口などを含めた繁栄地帯として、
「太平洋ベルト地帯」を学校で習う。
東京から博多まで物差しを置いたような一直線に、大都市が並ぶ。
戦前の昔、日本の繁栄地帯は北前船の寄港ルートだった。
「天下の台所」と呼ばれた大阪や京都の存在は大きく、
北海道から日本海に沿って下り、下関を通って、
瀬戸内海を通り、商売道具の荷を積んだ船が上方に向かう。
一方、若狭湾から琵琶湖に入って、畿内に向かうものもあるので、
特に北陸地方は潤っただけではなく、有名な近江商人とのやりとり必須で、
さぞ活気にあふれた人々が多かっただろうと思う。
福井出身の同級生から、小さい頃から一枚ずつ着物を揃えるなども聞き、
単純な贅沢ではなく、良いものに触れる心の贅沢の日常に驚いた。
北前船と聞くと、華やかで、誇りある歴史の数々がひも解かれる。
天領と呼ばれた江戸幕府の直轄地、出羽(山形県)の米も、
この北前船で運ばれたが、有名な歌がある。
「本間様には及びもせぬが せめてなりたや殿様に」
日本一の大地主、山形県酒田市の本間家を歌ったもので、
「本間様は無理だが、せめて大名になりたい」という意味だ。
北前船ルートの繁栄ぶりが想像できるというものだ。
畿内への上り荷物はほとんどが海産物で、地元に戻る下りには、
様々な種類の飲食品などの日用品や贅沢な高級品などが乗せられる。
地方で時々「昔、京都から」というお雛様や着物をはじめとした品々が、
旧家に残っているのは、そういうことだ。
北前船は流通だけでなく、その周辺の農業や産業にも、食をはじめとした
さまざまな文化にも大きな影響を与えたのは、想像にかたくない。
寄港地で安いと思う商品を買い込み、各地で売りさばきながら利益を得る。
「才覚」ひとつで、大金持ちにもなれた船乗りの夢物語がそこにある。
能登半島はその北前船ルートの、日本海における交通の要所にある。
江戸時代、一航海で千両を稼ぐと言われた。
「能登はやさしや土までも」と表現される通り、
実直で働き者、純粋で粘り強いのが能登人の気質と言われる。
能登半島地震に遭遇した人々は、そういったご先祖様と、
地元の歴史を抱えた誇り高さから、気持ちの余裕を受け継いだ人々だ。
翻って思うことで、GDPが世界4位に転落というニュースがあった。
数字はたいていは、ただのレトリックに過ぎない。
日本は借金大国であるけれど、その借金は、自国民からの借金だ。
政府は、国民に借りた金を返す必要があるのを忘れている。
2021年の税収ランキング第3位の金額を比較確認すると面白い。
東京都はすでに一国の財政を預かっているのと同じだけれど、
他地方でも例えば道州制のようなイメージで考えれば、
少なくとも、普通に小さな一国と同程度の規模になる。
現在は円安のせいでインバウンドだのなんだの、かまびすしいが、
観光という他人次第の、あやふやな立場のみにすがるのは恐ろしい。
国の基本は間違いなく、第一次産業だ。
日本は自然にも技術にも教育にも民度にも恵まれすぎている。
フランスが農業国であるように、食料や資源の安定を図らなければ、
外交においても苦労する難題が噴出する。
海洋には金を始め、さまざまな資源が含まれているが、
日本は本当に、資源のない、自給のできない国家なのだろうか。
来るもの拒まずのインバウンドはさておいて、
今こそ内需拡大の開拓に舵を切った方が、
北前船ルートの繁栄に負けず劣らずではないだろうかと思う。
食べ物も、家具も、雑貨も、衣類も、装飾品も、
自然の肌触りや、好みの満足感の心地よさを知ることなく、
創造という美しさに触れることなく、そういう人生を終えて満足だろうか?
私は、死ぬまで100円均一の使い捨て品に囲まれ、
ジャンクフードばかりを口に詰め込んで暮らすのは、嫌だ。
能登半島地震の被災者がインタビューで、
「足りなくなったのは霜降り肉くらいだな」と、話していたのは、
受け狙いではなく、本物に触れて、守ってきた、生活者の言葉だと思った。
花の種じゃなくて、苗を買ってもいいですか?あなたのサポートで世界を美しくすることに頑張ります♡どうぞお楽しみに♡