みんな・いつも・普通・常識
高くても安くても着心地のいい服はあるが、結局は消耗品だ。
いつかは捨てる。
もったいないとか、めんどくさいとか、
そういう気持ちで古着を提供する場合もある。
あちこちの被災を耳にして行動を起こすことは大事。
でも、、、
洗濯もしない汚れた下着は本当に喜ばれると思っている?
ペラペラの安っぽいチュールのドレスは必要と思っている?
もったいないと思うのは、残念ながら愛着のある人のみだ。
どこかが黄ばんで、どこかに虫食いがあるならば、
手に取った時に、自然と沈んだ気分になってしまう。
洗濯してある可愛い柄の、アイロンを当てた座布団カバーは、
きっとお気に入りを提供してくれたに違いない。
アウトドアブランドの毛羽立ちの少ない品は、
エールの気持ちをこめて送ってくれたかも知れない。
古着や小物類の早々の支援は、気持ちが込められていてありがたい。
小回りの利く個人の動きが早いことは、
どうしても動きが遅くなる自治体や団体の支援のつなぎになる。
だけど、、、
寒い地方の年寄りが喜ぶスカーフも帽子も見当たらない。
一様に上着だらけで、一人当たりとりあえず一枚か二枚あれば充分なのに。
際限なく送られてくる古着は、
ひとかたまりで考えれば、残念ながらゴミの山だ。
ゴミを分別する広い場所と、ゴミを分別する根気強い真面目な人間が必要。
汚いものと綺麗なものに分ける。
男物と女物に分ける。
大人物と子供物に分ける。
学生に必要なものと年寄りに必要なものに分ける。
大人用も子供用も幼児用も、それぞれサイズ別に分ける。
探しやすいように、Tシャツとかセーターとかアイテムごとに分ける。
そうしなければ、忙しくて疲れた人達の時間を奪い続けるからだ。
分けることに膨大な時間を割き続ける。
善意を無駄にしたくないために、
たくさんの善意と、少々の悪意が、疲れた人の心と体を押しつぶす。
先日、すっかり忘れていたことを話題に出された。
あの頃は膨大な携帯電話の登録者数があって、
いつも誰かと連絡を取り合って、いつも何かの情報も得ていた。
それでいつも誰かと何かの情報も共有しなければ、
暮らしの先が見えなかった。
「震災以来ずっと連絡を取り合っていて、
先日〇〇さんちに訪れて、泊まっていったみたいよ」
それは知人が支援いただいた方と、交流が続いていることの話題だった。
私も阪神淡路の時と、自身の被災時と、縁あって交流が続く方がいる。
だけど、情報はくまなく錯綜して、飛び交っていたので、
その話が遠回しに私がつないだ縁だとは覚えていなかった。
誰かが個人的に支援の申し出を受けると、
口コミで回りまわって受け取ることもあった。
それはご自分のお仲間か、旧友の方がグループで、
大きな段ボール一箱に台所用品一式を詰め込んだ支援だった。
一軒分を大きな一箱にまとめたので、何が入っているか分からないが、
お台所で使うだろうと思われる品を詰め込んだのだという。
「どなたでも、どうぞ声を掛けて」とおっしゃるので、
仮設住宅に入居するであろう知り合いに声を掛けて、
「〇〇さんのお仲間の支援が届いているので、
必要なら差し上げるとのことですよ」と、何人かに電話を掛けたのだった。
「お知り合いにも必要なら声を掛けてください。
無くなったらごめんなさいだけど」と付け加えた。
その人が「必要」と考えた品が入っているので、
「お台所でつかうもの中心」という目的は同じでも、
中身は用意して下さった方の、それぞれの個性があるはずだった。
私がいただいた箱には、IKEAで揃えた食器、マグカップ、
調理用品、その用具入れさえ入っていて、
お下がりらしいハンドミキサーも嬉しかった。
それから文房具と便箋とペンポーチも嬉しかった。
仮設住宅にはそれぞれに、冷蔵庫、電子レンジ、洗濯機、
テレビと人数分の布団、まな板と包丁、
それからメモ帳とハサミとボールペンが準備されていた。
どの一箱にも送って下さった人の手紙が入っていた。
買い物は本当に大変だったから、本当に助かった。
買えるところがない、ガソリンがない、忙しくて出かけられない。
何もないので、買い物の優先順位が分からない。
一ヶ月使用した紙コップから、
友人が送ってくれたプラコップに変えた時に(贅沢だ)と思った。
何よりも体力は仕事や片づけに使っているので、
考える気力がなかなか生まれてこないので、
代わりに考えて、やって下さることに本当に感謝の思いだ。
思い出したら考えがまとまらなくなったので、
とりあえずこのまま投稿。