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「普通」でありつづけるための何か


一昨日の記事で、「普通」のことを考えた。

この言葉は私にとってのNGワードなのか、
時々考え込んでしまうようなタイミングが現れる。

そのたびに私にとっての「普通」、今現在の「普通」、
「普通」の人間、「普通」の持つ意味の指すところを思い巡らしてしまう。

考えすぎることは良くないと思うのだけど、考え出したら止まらない。


「普通」は、普遍的な意味を持たない、
答えを持たない、実態のないものだと思う。

あるのは「普通」というのはこういうものだ、と誰かが定義した時のみ。

思考が支配されそうになると、答えを導きだそうという方向に向かう。

つまり、単に恐ろしい夢を見た、という話なのですが。

私はヨーロッパの若い女性になる。

彼女を通して戦争を経験する。

どのような意味を持つ、どういう戦争か分からないけれど、
いろんなサイコパス人格が登場する。

その声や表情や目的にぞっとする。

諦めと怖さと絶望が蔓延する世界。

音がどこからも聞こえてこない。

無音ということは、ピアニッシモの風すら吹いてこないということだ。

人間関係は一方的で、
軋轢も抵抗もなく、分かりやすく、すんなりと物事が運ぶ。

サイコパスが戦争世界の「普通」の人間なら、
それに素直に従う人間も「普通」なんだろうと思う。

そういう世界はどこにも私の「普通」がない、と思って目が覚める。

世界は音で成り立っているんだなぁと思う。

音が、人の心を動かしつづけているのだなぁと思う。

目を閉じて、自分の回りのものを触り続けると、
いろんな音が聞こえてくる。

かたわらのペットボトルすら、にぎってみたり、さすってみたり、
動かしてみたりするといろんな音がして安心する。

耳が聞こえなくても温度や湿度や物の硬さだとか、
あふれる色はリズムのように、体を動かすことを要求するみたいだ。


起きて最初にすることはカーテンを開けること。

空を見て、色の魔術に取りつかれた子供みたいに、
その日のお天気を想像しながら、太陽や雲の存在を確かめる。

音楽のような虫や鳥の声を聞き、
五感を刺激する空気の匂いを吸い込む。
どこからか生まれてくる風の流れに、片手を差し出す。

同じ景色も、日々違う絵画のように飽きずに眺め続ける。
私にとってのお気に入り画像だ。

望むことはただ、穏やかさを感じる心。

それから食べて、動いて、休んで、また夜が来て眠りにつく。

私にとっての「普通」は、戦争も災害もなく、繰り返す毎日だ。

夢で経験した戦争は秩序ある無音の世界で、恐ろしかったという話。

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