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書くことより自分が生きることの方が大事*毎日note30日を前に


ライフスタイル系の記事を作っていた。
クライアントさんの意向をくみ取るのが一番大事。
しばりの少ない個人サイトの記事や、
短編小説みたいに自由に文章を作れる仕事で
気分転換していた。

そうこうしているうちに、
家族の介護問題も噴出し、
仕事にあてる時間は減らすしかなかった。
神経を休めてボーっとする時間は必要だし。

(なんのためのサイドワーク?)
(お小遣いを稼ぐためでしょ?)
(慣れてきた同じパターンで書けばいいんじゃない?)
(そういうルーティンワークって飽きてこない?)
(どんな仕事もそういうものなんじゃないの?)

延々ともうひとりの私と対話し続けた。その結果、
「お金だけが目的になると意欲を無くす」と根本を理解した。

私は活字が好きだ。
病弱だった小さい頃は、犬と猫と本だけが友達だった。
本の中に世界が広がり、その世界で私は、
人間社会の不自由や自由を考えてきたんだと思う。
本の中にはお金で買えないものがあふれていた。

アウトプット不足解消に始めたnoteも
30日を超えようとしている。
実は2011年3月以降、一冊の本や雑誌を
読み通すことに、かなり苦労してきた。
世界は得体の知れないものに変わっていたから。

色の氾濫するテレビや雑誌は、
頭から受け付けることが出来なかった。
友人からいろんな本もいただいたけれど、
活字は整列を乱して、
乱暴に頭の中で勝手に暴れまくる感じ。
自分で文章にすることで、
少しずつ隅の方から整理されていく。
そのすっきりした快感に支えられて暮らしてきた。
今もその途中。

noteで記事をひとつ、またひとつと
作り上げていく度に、
思ったことをまとめて置こうと思う。

なんのために

私は記事を書いてるのかと思った

好きなことを適当に書きながら、
これを書いて自分のなんの利益になるのだろうとふと思った。
利益の意味は時間を費やすことの損得。
大抵の行動は「楽しい」から始まり、
その先の広がりを想像できると思う。
お金になる。仲間を増やせる。手元に形として残る。
気軽に投稿できるnoteは、私のなんの欲求を
満たすものなのだろうかとまだ考えている。

誰のために

私は記事を書いてるのかと思った

もちろん最初は自分のため。吐き出したいから。
でも一方通行の文章の書きなぐりは、
少しだけ虚しさも感じた
誰かが読んでくれると思うことで
「次はなんのお喋り?」と、
笑いかけてくれるような錯覚を起こす。
漠然とお喋り気分の文章は書けないんだと気づいて、
私が写真にひとめぼれした、
ソルトさんを想像しながら書こうと思った。


閲覧を増やしたい

欲望にかられたのに驚いた

noteは情報収集にロムりまくっていたが、
あちこち眺めると、思いがけずに
「効果的なnote利用手法」みたいな記事が
たくさんあり、そういう導きばかりに目が向いた。
いろんな良いアドバイスがあり、
そうしなければいけない気分にさせられた。
見られることに意味があるような気がして、
初心者として陥りがちな、あせりが起きた。
でも見る側としての自分を考えると、
情報収集に検索しまくって、何年も前の古い記事も
読んでいたことを思い出したら、その欲望は消えた。
読んでくれる人がいつか読んでくれたらいいと
気楽な気分になった。

スキを気にしてしまう 

自分に驚いた 

自分が読者側のみだった時は、
実は「スキ」ボタンの存在にも長く気づいていなかった。
でも良い記事をたくさん読んできた。
社交辞令の意味で「スキ」が付いていることも気づいた。
私が「スキ」をしたお返しに、題名だけ読んで
「スキ」をしてるんじゃないかと思ったこともあった。
それに、これは人それぞれとしか言いようがないけど、
記事の内容が短い場合やシンプルな内容の場合、
余韻や間延びしたような考える時間ができるので、
「スキ」を押してしまうのではないかと思った。
「スキ」ボタンの存在があるために、
最初は通信簿的な意味で気にしてしまったが、
今は「スキ」してくれた人が、
(もしかしたら同じ感覚をもっているのかな)と
楽しみになり、その人のことが気になってしまう。
これが「つながる」っていうことかも知れない。

「書くことより自分が生きることの方が大事」

という言葉に助けられる

このセリフは90歳になられる詩人の谷川俊太郎さんが、
ある雑誌の対談の記事で話していた言葉だ。
さすが亀の甲より年の功。
noteを始めたのは、アウトプット不足で
「書きたいんだ」と思いたったからだ。
でもそのアウトプット不足の原因は
考えたことが少ないし、目的までたどりつけないでいる。
山好きな人がなぜ山が好きかという問いに
「そこに山があるから」と答える話が有名だ。
それもきっと「自分が生きるために登るんだ」という意味だと思う。
そして「自分が生きるためとは?」とさらに畳みかけられたら、
「ただ好きなことを続けて、いつも自分らしくいたいから」
そんなシンプルな理由だと思う。
人生で一番の友達はずっと本だったから、
もっと言葉と、ただ仲良くなりたい。
今実感しているのは
「ちゃんと自分が生きるために書きたいんだ」
という、私のささやかな欲求だ。書く孤独を楽しんでもいる。

毎日note30日を前に、私のハートをこじ開けて見ました。


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