日々徒然6 行動しなきゃダメなのか?
「行動あるのみ」
「行動しないと何も変わらない」「とりあえずやってみないと」「行動し続けていく事が大事」。。。。。
実は、この言葉が最近呪詛のようにまとわりつく。気がする
多分、私の強迫観念に近いかもしれない
「行動しないと何も変わらない」
⇒わかってるけど、嫌なんですーーーーーーー
動きたくないんですーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そもそも「行動する」って?
考えてみると「行動」とは、定義範囲が広すぎる
体を単純に動かすことも「行動」
目的に向かって何かをなすことも「行動」
今回のボヤキは後者の「目的をもって○○」
に引っかかりを感じる事なのかもしれない
私にとっては何がそんなに
「行動したくない」気持ちを引き立ててしまうのだろう
むしろ、「行動する」って考えるだけでオエ
私は幼少期から今今に至るまで、「あなたは考えずに即行動だよね」
「猪突猛進」「行動力がすごい」「思い立ったら行動してる」「口に出したらもうやるって事」等々行動に関して貰った称号数知れず
実際、自分でも行動力には自信があった
思い立ったら即行動
そのため、すっごく、かなり、やり散らかしているうえに継続しているものはほぼ皆無
子供か!
まだまだ全然やり切れてないけどね
でも、本当に今はやりたくないみたい
ふと何かやりたいな~とか少し思いつくけど、続かないで想像だけの時間を過ごす
「行動」する事がめんどくさいのです
目標?
くそくらえ
生きる目的?
今息をして生活するだけで精一杯
少しでも人生面白く
ソファーで横になりドラマ録画を見ているのですが、何か
と、ずーーーーっとダラダラしている、だらしない自分が許せん?
かといっても、動けない、仕事に精が出せない、一生懸命ってなにかな?
いま今息して生活していることで、本当に充分。
でも、何か実りある事をやらないと
人間としてだめだと思う気持ちの葛藤があって
どんな慰めの言葉を思いついて言い聞かせても、自分を大事にすることをしているとか、諸々の詭弁を並べてみたりしても、思いっきりダラダラ生活に大きく踏み切ってみても、一瞬の心地良さに酔いしれてみるものの、心地よさの裏にある罪悪感や焦燥感とセットな感じは否めない
そんな矢先だからこそか、ジム見学したら勧誘断れず、思わず契約。。。でも行ってないし
織物教室、やってみると心地いい時間だけれど、行くまでの時間を作れず、初回以外いけてない
畑も行けてなくて、雑草や農作物ぼうぼう
里山も全く参加できない
仕事も一歩も二歩も積極的に自分から踏み込んで、なんて思いもつかず
でも、、自分の未来をつぶしたくなくて
いつかやるであろう未来を夢見て、解約すらできず
八方ふさがりで、さらに「行動」したくなくなっている感じ
辞書で「行動」を調べてみると
この 1 が厄介なのかもしれない
つまり「目的を持つ」かつ「莫大なエネルギーを使う」が今はとてつもなく嫌である
そして 2 の面白いところは
この、「生活上の意味を持てば、じっと動かない場合でも、行動と呼ぶ」
ここがなんだか、なんとなく耳にする言葉だけれど、目から鱗の気持ち
私の解釈では、「今の主人と子供達との生活を、滞りなく進行させるために、私は動かないという、行動をしている」
と辞書に書いてあるように読めてしまった
ほんの少しの言い方の違いなのだろうけれども、世界大百科事典の文章というだけで、なんだか「毎日頑張って行動している」印籠をもらえた気持ちにすら、うっすらとだけどなれた
鬱ではない
以前鬱を患ったことがある
今ふと思うと、そこをきっかけに、どんどん自分に甘く甘く、とことん甘くなってしまったような兆候がある気がする
何が言いたいか
鬱を患って服薬していた時期があるかからこそ分かる、自分の今の状態
「鬱ではない」
でも、目的意識が欠落していて、楽しくないが、平穏で無事な生活
目的がない分、何かを成し遂げた達成感もないのかもしれない
だからこそ、何も人として残せていない罪悪感、ごくつぶしのような後ろめたい気持ちがセットなんだと思う
それでも、毎日息をして、掃除して、ご飯炊いて、子供達や旦那さん送り出して、時々仕事して
満面の笑顔を浮かべられる達成感や両手を大きく広げられる解放感、深呼吸して上を見上げる爽快感は無だけれど、今は十分に罪悪感とごくつぶし感と焦燥感と動きたくない気持ちをセットで感じてみようと思う
そして、爽快感や達成感や解放感を夢見ている、そこがない自分に満足していないんだと、客観視したことに、多少の驚きと苦笑が少し面白いと感じた今日この頃
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