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安堵感と一抹の寂しさ

ずっと背負ってきた荷物が取り払われる安堵感と、
あったものがなくなる一抹の寂しさ。

これも福井晴敏著作「終戦のローレライ」の一節。
これって人生の中の、色々な局面で触れる感情の気がします。
これを書いている今の季節は夏で、この暑さには閉口しますが、それも秋が来ると安堵と寂しさを感じる気がするのです。
僕には息子がひとりいますが、養うという重荷、それが達成されて軽くなる寂しさは、いつか味わうことになると思います。
それは幸せなことなのでしょうね。
人が生きている限り、大小の差はあれど、日常的に繰り返し味わい続ける必要がある、そのひとつのようにも感じます。
「終戦のローレライ」という作品に、久しぶりにじっくりと触れ、ちょうど劇中の季節と同じ季節の未来の今に僕は立っています。
劇中に描かれる原爆の当日が、79年を経て今年もやってきます。
79年も前の、その出来事を感じるのは、大事なことと思います。
まだ作品の残りは半分ちかくありますが、長編小説を読み終える時の、安堵感と一抹の寂しさが、この作品からも去来することでしょう。
それが楽しみでもあり、まだ先であって欲しくもあり。

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