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表現することにおびえる。

こんにちは。はじめまして。

何かを表現することの怖さについて。

表現媒体が増える。

iPadを購入し、Apple Pencilを買って、Bluetoothのキーボードを買って。苦手だった絵を描くことをしてみたり、こうやって考えを文章にまとめてみたりするようになりました。

それもこれも、コロナウイルスがあってのことで。
「家で過ごそう」「家で踊ろう」のために揃えてみただけで。
ギターも欲しいと思って早1ヶ月。まだ買えていません。ギターを買ったら歌いたい歌はあります。

表現する機会が増える。

noteや配信アプリなど、自分を表現する媒体に触れる機会が増えてきています。

しかし、そういうものを使っていながら、自分はつくづく発信とか、表現とかが得意ではないと気付かされている日々です。

そういうことを最近感じるようになったのか、感じられるようになったのか、感じるようになってしまったのか。

言い様は色々あるから良いようにって思うけど、なってしまった、という表現が今は一番近いかもしれません。
少しネガティブな感じがするけど。

だって、そこに気づかないでいられたら、見ない振りができたなら、自分は色んな思いに惑わされずに済んだかもしれないから。

気にしてしまうこと。

今は、自分が何かを描く時、書く時、喋る時、呟く時、
自分の中にあるものが外に出ていくような時に、

見た人はどう思うか

変な人と思われないか

誰かを傷つけたりしていないか

自分が傷ついてしまうこともないか

見てもらえるか、認めてもらえるか

たくさんことを気にします。見られている意識がのしかかってきます。

でも、載っける時は、
あーもういいや!どうにでもなれ!ぺいっ
とも思っています。

そしてそこには、

もっと自由に表現できたらいいのに。

そういう気持ちもあります。気持ちというものはどうもひとつでは説明できないらしいです。

これからの計画

この、

表現することにおびえる。

ということをテーマにして、

・絵を描いてみて
・文を書いてみて
・配信をしてみて
などなど

何かひとつのマガジンを作り、色んな視点から自分が何かを表現することに対して思うこと(不得意さ、苦手さ、億劫さなんか)について書いていきたいと思っています。
でも、マガジン作らないかもしれないし、続いていかないかもしれないです。

それでも良いって思っています。それくらいの気持ちで続くのがきっと心持ち的に良さそうだから◎

まとめ

自分の内側にあるものを言語化すること、文章化することのしんどさや怖さに怯えながら、その強さにしがみつく。

そして、それを誰かに見てもらいたいけど見られたくない、そんなアンビバレントな気持ちを抱え続けながら発信していくことに耐えていく。

その過程を見守ってくれる人がいるなら、それはとても心強いことです。

続く(かも)

かぬと言います◎ ぽろぽろときもちやおもいを書いています。たまにらくがきします。読んでくださりありがとうございます☺️