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自己開示しないとダメなのか

人が作る物には、何かしらその人の内面だったりが映し出されている。そんな気がする。

自分のことを話すのは得意?不得意?

私は苦手で、
さらに言えば、表現するものに自分の内側が映し出されるような気がしているので、何か作ることにもきっと抵抗があるんだと思う。

自己開示

「自己開示」という言葉をご存知だろうか。
それは、自分の内面をありのままに表現すること。

自己開示は、内容によって、その開示の持つエネルギーが変わってくる。

例えば、
好きな食べ物は?
くらいの質問なら、
餃子
って答えられる。

でも、
今どういう気持ち?どんな感情?
って質問は、どれだけフランクに聞いてもさくっと答えることは私にはできない。

自分の内面にあるもの;感情などは、とたんに自分と向き合う作業が強いられる気がするからだ。

周囲と比べてしまいがちな私にとって、自分のことをさらけ出したり話したりすることはとてもハードルが高いことで。

自分の内側を見せられる相手は私にはとても限られていること、なのです。

自信がないから

私は自分にきっと自信がない。
自己肯定感が低いとか、自尊感情が低いとか、そういう表現をすることもあると思う。
(同じ意味だって言う人もいれば、違うって言う人もいる。)

だから、自分の持つものや考えを笑われたり、否定されたら嫌だなぁ、傷つくなぁって思ってしまう。

今だってそうだ。こんなことを書いてメンヘラだとか、気持ちが弱いとか、気にすることじゃないとか。そんなことを言われるのが少し怖い。

本当に良いものなら自分に自信を持って出せる、出せないのは自分が良いものと思っていないからだ。
なんて言う人もいるかもしれない。

でも、やっぱり自分をかたちづくっている部分を見せるのは勇気がいるものなんじゃないだろうか。

自己開示をしないと仲良くなれない?

自分のことをさらけ出さないと仲良くなれないのかな?

全く何も自分のことを話さないということはないけれど、誰に何をどれくらい話せるかは相手によって私は変わってくる。

自己紹介を強いられたり、まだ仲が良くないのに色んなことを聞かれたりすると、私は引いてしまうなぁと思う。
自分のパーソナルな情報を出すことの抵抗感が根底にはきっとあるだろう。

でも、まだ大して時間も経っていないのに、詳細なプロフィールを知りたい目的がはっきりしないところでぐいぐい来られると引いてしまうなぁ。

それは、私にとってそれがとても必要なことではないからだと思う。
相手がどんな人かをそういったデータからよりも、雰囲気やfeelingから感じることが多いからなのかもしれない。
言葉遣いや話し方、雰囲気などが合うとか良さそうとかそういうところが私は入り口なのかもしれない。

もちろん、多少の自己開示は仲を深めていくには大切だ。
でも、それがなくっちゃ仲良くなれない、お互いがつながっていかないとは私は思わないのだ。
仲が深まっていく過程の中で、私は自分の話をするかもしれないし、相手の話を聞きたいと思うのだ。

仲良くなるためにじゃあ、まず連絡先を交換しよう
というよりは、
この人ともっと仲良くなりたい、なので連絡先を交換しませんか?
みたいな感じなのかもしれない。
手段や目的?みたいなところが違うんじゃないかなと思う。
具体的に言うとすれば、その人の性別がなんであれ、出身地がどこであれ、年齢が何歳であれ、それらは私には大した問題ではないんだろうと思う。

自分を開ける場所があると良い

自分のことを話すのはやっぱり難しい。

私はそれが苦手分野だ。どっちかというと聴く側に回ることが多いということもあるからかもしれない。

でも、話せる相手はいるし、そこには信頼関係や安心感がちゃんとくっついている。
その相手には多少は自分のことを話すことができるだけの関係性がある。

そういう相手が1人いれば、ひとまずは良しとして良いんじゃないかな。

1人もいないのはちょっとしんどくなることがあるかもしれないから、1人この人なら私の話聞いてくれるだろう、受けとってくれるだろうの人がいると良い。

それは、必ずしも友達関係でなければいけないわけではない。とも、思う。
それは家族かもしれないし、恋人かもしれないし、友達かもしれないし、先生かもしれない。

とにかく、
自分を開ける場所があるかないか
自分を開ける相手がいるかいないか

はとても大きいのだ。

そういう人がどこかに1人でもいるだけで、
その人はきっと生活や人生を生き抜いていける。

まとまらないけど、まとめ

信頼関係ができていることはとても大事で、できていることにより、さらに進展があるこもある。

しかし、信頼関係とかは最初からあるものではない。
相手も自分の話をしてくれたり、ネガティブな感情を共有することができていたり、助け合いがあったりしながら、少しずつ気づいたら築かれていくものだったと思う。

最初のフィーリングで何かしら惹きつけられるものがあった、ということも少なからずあるだろうけど。


まとまらないものを無理にまとめようとするが、

自己開示って簡単じゃない。

自分のことを無理に話さなきゃいけないものではない。

でも、少しは話せる方が人間関係には良い。

気兼ねなく話ができる相手をなるべく作れると良い。せめて1人だけでも、

自分にとって大事な存在には、相手から話を聞けるということだけでなく、自分も開いていく姿勢は大切。

だと思う。

おわり。

かぬと言います◎ ぽろぽろときもちやおもいを書いています。たまにらくがきします。読んでくださりありがとうございます☺️