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「織田信長とは何者か」(舞台『刀剣乱舞』虚伝 燃ゆる本能寺)

⚠️この記事は「舞台『刀剣乱舞』虚伝 燃ゆる本能寺」のネタバレを含みます。ご注意ください。⚠️

最近2.5次元俳優にハマっている妹が録画していたので、一緒に観ました。私も刀剣乱舞好きだし…
どの作品でもそうですが、こういうのはやっぱりある程度分かっている方が面白いんですよね。


ということで目次を挟んでまずは簡単な(?)あらすじからご紹介していきましょう。(この記事を読んでいるってことは既に観ているとは思いますが…)

あらすじ

舞台となるとある本丸に、新しい刀剣男士が顕現した。
彼の名前は不動行光。かつて戦国武将・織田信長が佩用し、側近の森蘭丸へ授けられた刀である。
不動行光は自身の「信長の愛刀だった」という過去をとても誇りに思っており、本丸の刀たちに何度もその話を語って聞かせる。
しかし、同じく織田信長が元の主であったはずの宗三左文字、へし切長谷部、薬研藤四郎と不動行光はなかなか噛み合うことができなかった。
近侍に任命されたばかりの山姥切国広は、そんな彼らの仲を取り持ち本丸を立て直すために奔走する。
そんな中、審神者から出陣命令が下された。
その行き先は天正十年の京都───織田信長が亡くなった歴史的事件、「本能寺の変」であった。

織田信長という存在

かつて織田信長の刀だった宗三、へし切、薬研そして不動のそれぞれ交錯する信長への想い。
この記事のタイトルにもした、宗三が蘭丸に、蘭丸が光秀に投げかけた「織田信長とは何者か」という問い。
「本能寺の変」という大きな軸を中心に展開していく荒々しくも美しいストーリーが圧巻でした。
そこに近侍として任命されたばかりの山姥切国広の苦悩の物語も合わさって更に人情味というか、刀剣男士の心と感情が引き立っていました。

歴史というもの、歴史という人

なぜ彼らが戦うのかを改めて知ったように思えます。
歴史改変を目論む歴史修正主義者がいるから、それだけではないんですよね。
なぜ刀の付喪神である彼らがそれを止めるのか。
なぜ今回、織田信長を歴史通り殺したのか。
宗三左文字が不動行光の刃を自ら刺されてまで受け止めたのも、刃を向けた不動行光が光秀を討てなかったのも、それはそれぞれに織田信長の存在があったから。
へし切長谷部も薬研藤四郎も同じだった。
織田信長にも、明智光秀にも、森蘭丸にも、生きとし生ける全てに歴史があって、彼らはそれぞれにその歴史を生きてほしいと願っている。
だからこそ刀という"モノ"である男士たちは、例えそれが前の主であろうとも、「歴史を変えない」という選択をし続ける。なぜならそれが正解だから。


感想とか

最後までひとりで抗おうとした不動が印象的でしたね。
「正義の反対は正義である」なんて言葉をよく聞きますが、まさにそんなだったと感じました。信長様を愛していたからこその正義と、刀剣男士としての正義のぶつかり合い。どっちが正解かは分かりません。

中盤で三日月宗近が、「どうして刀剣なのに心があるのか」と尋ねた山姥切国広にかけた「心があるのは物だから」という言葉に刀剣らしさを感じました。人間だったら出ない、刀というモノだからこそ出たセリフなんだなって。蘭丸にお前と戦いたくないと叫び、守ろうとした不動にも、やっぱり感情がある。
三日月は、あの月を美しいと思うならそれは巡り巡って誰かが山姥切国広を美しいと言うのだと山姥切に語りかけた。終盤の審神者への報告の時にしっかり回収されたのが良かったです。まんばちゃんは美しいよ…
宗三左文字が「織田信長とは何者か」の問いに、ただ歴史を生きた魔王でしかなかったと答えを導き出したのもああ、あの織田信長も慕われ恐れられただけの、ただの人間だったんだなと思わせるようで素敵でした。

めちゃくちゃ個人的な話になりますが、妹は薬研(北村諒さん)、私は不動(椎名鯛造さん)がそれぞれ好きなんですが、魅せどころが盛りだくさんで良かったですね。
真剣必殺と内番も見られたので2人とも眼福でした。

特に深い意味のない感想文でしたが、わざわざ読んでくださってありがとうございました。
また観る機会があれば別の作品も観ようと思います。
燃ゆる本能寺を観た皆さん、ぜひ各々でおはぎの宴してくださいね。笑

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