見出し画像

「BANANA FISH」という劇薬の効果と副作用の記録

まさにその日は
「BANANA FISHにうってつけの日」
だったのかもしれない。

8月12日は奇しくもアッシュ・リンクスの誕生日だった。
そうとは知らずいつものように仕事のおともにたまたま選んで見始めた映像に、こんなにも頭の中をかき乱されることになるとは思いもしなかった。

自分の中で決着を付けたい問いが2つある。
おそらくほとんどの人が抱くであろう、見終わってからずっと頭の中を駆け巡るその問いは、「しんどい」だけで終わらせるにはあまりにも簡単すぎるし、「尊い」で片付けるのももったいないなと思った。

そして自分の心に大きく傷を残したことが1つ。
これは自戒として言葉にしておきたかった。

ちなみに私は「BANANA FISH」という作品の存在自体を全く知らないところからアニメを2日で見終え、漫画も番外編含めて2日で読み終えた状態でこれを書いている。
そう、鉄は熱いうちに打て!

※ここから下は大いにネタバレしているので、まだ見ていない・読んでいない方は見た後・読んだ後どこにも持っていけない気持ちが生じたときに気休めに読むことをおすすめします。





①アッシュは最期幸せだったのか

物語が進むにつれて、どうか彼の魂をこれ以上削らないでくれ、奪わないでくれ、支配しないでくれとずっとずっと願って見ていた。
アッシュには銃や犯罪のない世界へ、日本へ、そして出雲へ、英二と共に希望に満ち溢れた自由な未来を生きていってほしかった。
そうなることが幸せであると思っていた。

幸せの定義は難しい。
なぜならそれは個人の感覚によるからだ。
どれほど恵まれた環境にいようと本人がそれを地獄と思えばそれは幸せではないし、どれほど地獄のような環境であっても本人が1日のある瞬間を天国のようだと感じるならそれは幸せなのかもしれない。

作中、アッシュ本人が幸せについて述べている場面がある。

「この世に少なくともただ1人だけは…なんの見返りもなくオレを気にかけてくれる人間がいるんだ。もうこれ以上はないくらいオレは幸福でたまらないんだ。」

この言葉を想うと、最期のあの瞬間、手紙に綴られた英二の言葉に間違いなくアッシュは幸せを感じていたのだろう。
ただ悲しいのは、「僕の魂は君と共にずっとある」という言葉が、魂の救済になったと同時にもしかしたら生への執着みたいなものを失わさせてしまったのかもしれないと思ってしまうことだ。
そして、そうだとしても彼は幸せだったのだと思い至らざるをえないことが、この物語が長きに渡って多くの人から愛される所以の一つなのかもしれない。


②なぜ英二はアッシュにとって守るべき大切な存在となったのか

これが本当に悩ましい。
アッシュがそこまでして英二を守りたい理由は何だったんだろうか。
友達だからといってもショーターだっていたし、日本人だからといっても伊部さんもいるやんかとなる。

人が人を大切にしたい、守りたいと思う理由って何だろうと考えたとき、私は2つ思い浮かんだ。

①その人が自分の心の支えだから。
②その人といるときの自分が好きだから。

英二は①②両方の気持ちを抱かせた存在だったのだと思う。
英二は何の見返りもなくどんなときも側にいてくれて、弱音を吐き出してもよいと思えて、アッシュが一番しんどいときに側にいてくれる人だった。そりゃもう心の支えだわ。
そしてそんな英二と一緒にいる、笑ったり泣いたりできる自分が一番大好きだったんだろう。

大切な人がいなくなることは、その人と一緒にいた自分がいなくなることだから自分の喪失と同義なのだと、何かの本で読んだことがある。
とすれば、英二を守ることは英二自身を守っていたのはもちろん、英二と一緒にいることのできる自分自身を守ることに繋がっていたんだと思う。


③他人を魅了する美しさを持つ人に対して無意識に放つ願望

アッシュはあらゆる人から「こうあってほしい」という願望をその美しさに投影されている。

マフィアの後継者としてふさわしい神の器、ボスとして君臨すべき人物、最高に気高い男娼、倒すべき最強の敵。

だが彼からすれば、きっとそれは彼自身が望んだ姿ではない。
周りが作り出した虚像の自分だ。
ただ現実に彼が起こした行動がたとえそう望んだものではないとしても、その行動の事実は結局他人の願望に染まった色眼鏡では全て虚像に結びつく解釈へと導かれる。
そこに唯一色眼鏡をかけなかったのが英二という存在だったのかもしれない。

私たちは自分のあってほしい姿でないものを見るのは耐えられない。
それが美しければ美しいほどに。
だからアッシュの最期については、読み手がアッシュに対してどれだけの願望を抱いていたのかで噛み砕く時間は大きく変わるだろうなと思う。

ゴルツィネやオーサーたちの色眼鏡に対して気持ち悪いと思う一方で、間違いなく自分自身もまた無意識に美しい人を色眼鏡で見ていることをはっきりと意識させられたことは、軽い衝撃だった。
大好きなアイドルや俳優やアーティストに、こういう目線で何かを強いて勝手に期待したりがっかりしたりしている自分がいるんじゃないかと、怖くなった。
だからこそ自戒を込めて言葉にして残しておきたかった。



うまく言えてなかったりちょっとまだ納得いっていないところもあるけれど、もう吐き出さないと澱んでしまうから一旦書き終えておく。

とまあ、このあたりまでが劇薬に触れた直後の8月の私。
そこからの私も記録として残しておく。


あとがき 〜「BANANA FISH」の副作用〜

「BANANA FISH」を観たあと、無性に本を読みたくなった。
図書館で数々の名作を読んだであろうアッシュがその物語の中に何を感じていたのか、知りたかったのかもしれない。
シンがアッシュの思考を辿る旅をするのすごく分かるし、光の庭のシンはほぼ本編を読んだ後の私の代弁者だった。
アニメのほうでは各話のタイトルが小説の名前になっていたので、少しずつ読んで制覇したい。
24冊もあるから、まだまだ深みにはまりそう。

ちなみに「ライ麦畑をつかまえて」は野崎孝訳のほうを読むと、「ああ!この言い方ここからきてるのね」みたいなものがあるのでまだ読んでいなければおすすめ。

そんなふうに、「BANANA FISH」きっかけで読む本のジャンルの幅がかなり広まったりと、自分の中の新しい扉がどんどん開かれている。
こんなにも複雑な気持ちを抱えてしまう劇薬だったけど、出会えたことにめちゃくちゃ感謝したくなる副作用を持つ素晴らしい名作だった。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?