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物語の種

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短いけど物語になりそうなもの
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砂鉄と磁石

意識が遠のく瞬間を覚えていたいだなんて。 杏子は薄い布団の中に足を突っ込みながら、これはまたやっかいなことになりそうだ、と苦笑いをした。 さあ寝るぞというタイミングで、たまに杏子は絶対に答えなど出ないようなことを考えてしまうのだ。 冷房からポコポコと一定のリズムを刻む木魚のような音が聞こえる。機密性が高い部屋で冷房をつけるといつもこうだ。窓を開けると鳴らなくなるのだが、さすがに窓の開けっぱなしは防犯上よくないから、そのまま大人しく音を聞くしかない。 ガバッと布団の中に頭

部屋の広さは思考の広さ

「お前、覚えとけよ。部屋の広さは思考の広さなんやからな?」 兄がうちに泊まりに来て、部屋をみた瞬間に釘を刺すように言い放った言葉を、大の字で部屋の天井を仰ぎながら思い出し、絶望した。 外は焼けるような暑さで、命をかけた叫び声のような蝉の鳴き声が響き渡っている。そんな叫び声なんて上げる必要が全くないほど涼しい5.6畳1Kの部屋で、そのとき私はのんきに昼寝をしていた。 夢見心地な頭を玄関のほうへ向ける。玄関から部屋まで約2m。歩幅にして約3歩。この部屋は全てが3歩で完結してし

萌芽は何処から

夜と朝が入れ替わるとき、過去と現在が交錯する 2016年冬 京都がまだまどろみの中にいる時間に 私は自転車を走らせていた 耳が痛くなるくらいの寒さと静けさが 寝ぼけ眼の私の五感を尖らせる 眠たげな朱色を放つ仁王門 龍が番をする手水 千年間生きた生き物の匂いがする黒ずんだ舞台 一歩進むたびに軋む音が緊張を煽る 意を決して 深く息を吸い込み目を閉じた まどろむあなたの顔が見える 昨夜遅くまで書いていたのだろうか 筆を手にしたままだ 起こすのは悪いかなと思ったが どうして