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これが私の宣戦布告

「毒が抜けたね」
久々にご飯に行った同級生に言われた。

今の私は、高校生の頃の私からは想像できないくらい、前向きで、ポジティブで、楽しい毎日を送っている。

はじめ


noteを更新するのは久しぶりだな、と感じています。
1月中旬から今週まで、春休みでのびのびと休みを満喫していました。

この3ヶ月はプロジェクトに参加したり、東京に何度かお邪魔したりと、私にしてはバタバタした休みを過ごしたのではないかと感じています。

「noteの人ですよね」って言われること、すごく嬉しかった。これまでもすごい文章を書こうと思って書いて来なかったから自分の中に書かなければいけないといった圧迫感などはなくて。

ただ、自分の中で書きたい、という気持ちに狩られない。言葉を大切に、なんて言っているのに形に出来ない自分にもやもや。

もちろん、言葉は全て形にできないのだけれど。
でも、この3ヶ月、自分と向き合うことが増えた。
あと2年で私は社会人になる。
自由という選択肢が減ってくる年齢になる。

いま、私が大事にしたいことはなんなのか。
大人になるって、なんなのか。
もう一度、ゆっくり言葉にしたいと思った。

私が、私であるために


私が私であるために大切にしていること。
それは自分が幸せな状態であること。

当たり前じゃんって思えてるあなたは、素敵な人なのだと思う。それか、最高ポジティブ人間か、前向き、幸せな環境で育っている人なのかもしれない。

高校生の私は、明日が来なければいいと思う毎日ばかりだった。毎日を生きることが必死だった。

いじめられてるとか、家庭環境が複雑とか、友達が居ないとか、そういうことじゃなくて。
ただ未来に対しての不安や、焦りや、生きづらさみたいなもをずっと貯めていた。

人より周りの目が気になってしまう。
誰かが私を見ているのかもしれないと、こんなことをしたら嫌われてしまうんじゃないか、って繊細に生きていた。

大人が怖いと、普通とは何なのかと葛藤していた。

そんな私を受け入れてくれるコミュニティが沢山あって、彩夏が彩夏らしくいればいいんだよって伝え続けてくれる人達がいた。

壁にぶつかってしまった時、大丈夫、私はいるよって無条件で自分に向き合ってくれる人たちがいた。
彩夏だから大丈夫って、ただ「私」という存在を受け入れてくれるひとがいた。

私はそんな周りの環境に幸せを感じていた。
色んな言葉を受け取ってきた。

私の行動のエネルギー源はいつだって人だった。
「ありがとう」の循環を求めて何かをしていた。

でもね、今の私は「ありがとう」を伝えたい相手が周りに溢れているんだ。
ありがとうって、周りの子を支えるだけで手一杯になれるくらい大切な人に囲まれて幸せなんだ。

だから、大学生になってから外部のコミュニティに出る必要があまり無くなっていた。
やりたいことも特にない、毎日は充実しているし、これ以上何を求めて生活するの?って言うくらい満たされている。

でも人間はやっぱり無いものねだりみたい。この当たり前の生活が愛おしいと思うと同時に、ふとした時に高校生の時のような爆発的エネルギーを受け取れる場所に行きたいと思うんだ。

その反対に今のこの幸せな日常を手放すことが怖くなってしまう。
また何かをしている私を、違う誰かのように扱う人が出てくるんじゃないかって。

今、と変わった私を受け入れてくれない人が出てきてしまうんじゃないかって。

活動しようとするコミュニティと、当たり前に溢れる日常のコミュニティではやっぱりギャップがあって。ふたつの私をひとつにしようとしてしまうと、ぐちゃぐちゃになってしまう。

ふたつの顔を持っていたっていいんだよ。そうなんだけどさ。
私はどっちの自分も好きでいてほしいって、欲張りになってしまう。

だって、どっちも私だから。

やっと自分の好きな、自分になってきたんだ。
自分の機嫌のとり方がわかるようになった。
大切な人に溢れて、頼れる環境があって、悩むこともなくて、前向きになれて。

だからこそ、また、なんだかトゲトゲした矢印を刺されることが怖くなってしまう。

案外人って自分に興味が無い。それも分かっているんだけどさ。
今が幸せだから、崩れていく可能性があることに少し恐怖を感じてしまうんだ。

他にも、自分の苦手に向き合わなきゃいけないなって思うようになった。

今の自分はしあわせだけど、それって苦手なことから目を背けているからなんじゃないかなって。

今の私に、泣けるほどの努力ができるのかな。
大学1年生、人が信用出来無くなりそうな出来事が起きた。

人に期待することが出来なくなってしまった。
もしかしたらこの人だって、と。
どこかで疑いの目を向けてしまう自分がいた。

頑張ったって報われないものがあるから、120%で向き合うことなんてしなくなった。

何かに対して熱量をもって頑張れなくなったのは、なんとなくこなしてしまうから。
逆を言えば、私はこなすことはできるけど完璧には出来ないんだ。

昔から器用貧乏と言われてきた。
血のにじむほどの努力をしたことがなかった。

「あやかはある程度できるから、いい感じに見せることはできるんだよね。いい感じに見せるというか、でもそれって本気なんだっけって思った時、まだかもって思う瞬間があるんじゃないかな。」

この3ヶ月、ずっと向き合ってきた人からの言葉だった。
なんだか、私の真理をつかれた気がした。
ちゃんと私を見てくれている人がいた。

久々に、ああ、私ダメだったなって思った。
「苦手」から逃げているんだと思った。
自分の幸せの形を崩さないことに必死だった。

苦しかった頃の自分を知っているから。
その頃に戻りたくない自分がいるんだと気付いた。

私は出来ないから、と、初めからやらないという選択肢を取るようになっていた。
それが私にとっての幸せだから。

でも、今の私はそれではいけない気がする。
身を削ってまで、頑張る必要は無いんだけどこのままでは全てのことをこなす人間になってしまう気がした。

正直、今の私は過去の私と比べると感受性が薄くなった。挑戦する心や、頑張ること、努力をしなくなった。人から受け取ろうってしなくなってきた。

自己完結した自分の幸せの生き方のこたえがあるから。

この3ヶ月間、ふたつのプロジェクトに関わらせて貰った。
学生から受けるエネルギーや、「大人」という存在に対する不安は莫大なことを知った。

18歳までの私は本当に葛藤の毎日だった。

愛知県を出たいって思ってた。
大人になんてなりたくないと思っていた。
明日の朝が来なければいいと、思っていた。

今は高校生の私が想像しているより遥かに楽しい毎日を送っている。

それは、大学生だからかもしれない。
だけど、それでも、過去の私よりは前に進んでいるんだ、前を向けているんだ。

自分がしてもらったこと、応援してもらうこと、寄り添うこと、それは今の私にはできる。
でも、いつからか私はどんどんなりたくない大人になっていないかな。

自分で自分のことをどこか諦めてしまう。
昔に比べたら何倍も、何十倍も前向きになれた、出来ないことがあっても、私も人間だからと受け止められるようになった。

でも、やっぱり自分に対してネガティブになってしまうこと、自分の可能性には蓋をしてしまうこと。

誰かに期待されて、絶望されることが怖いから。
絶望されてしまうのなら、いまのありのままの頑張らない私でいればそんなことも無いのだから。

きっと、どこかにそんな心があるのだろう。

高校の同級生に言われた。
「毒が抜けたね」
友達曰く、高校生の私は毎日何かに追われているような苦しそうな毎日だったみたい。

それに比べたら、今は何でも楽観的に考えられるようになった。それは私に「環境」が揃って、自分は自分でいいと受け止められるようになったから。

心の乱れのような、波も基本的には無くなった。
この1年、悩んだことがあった?と聞かれたら、思いつくことがひとつもないくらい、今の私は幸せなんだ。

でも、この1年、私はかましたい。

好きなことに全力で向き合ってみたい。
嫌いなこと、苦手なことに全力でぶつかってみたい。

どん底に突き落とされるような挫折をしたい。
それぐらい一生懸命に涙を流せるくらい頑張ることをしたい。

何かをやった時、中途半端な悔し涙を流すような人間でいたくはない。

頑張ったな、やりきったな。
そんな1年にしたい。

私の学生の期限は迫っているのだから。
そんなことを感じた3ヶ月だった。

おわり

久々に電車に揺られながら、思うがままに書いてみました。
やっぱ、勢いで書く文章の方が私らしさがあるのかな、なんて思ってます。

え、彩夏こんなポエマーだったの?って思われるんじゃないかなって正直ビビってます。
高校生の時から、色んな文書を書いてきたけれど、歳を重ねるほどに公開することが怖くなってきて、それでもやっぱり誰かに届いて欲しいとか、胸を張れる自分でいたいっていう葛藤があります。

noteを書いてる私を知らない人には、こんなことあげる子なんだなって思われないかなって不安になったり、どこかで何か言われていたら嫌だな。って思ってしまったり根本的なネガティブは高校生から変わりません。笑

高校生から私を知ってくれる人、大学生になってから知り合った人、noteを経由して知ってくれた人、色んな人がいると思います。

でも、やっぱり、「彩夏のnoteみたよ」って言ってくれることが嬉しくて、言葉が好きだよって過去のnoteを見て頑張れるようになったって伝えてくれる人がいるのが嬉しくて。

私は誰かに届くなら書くことを続けたいって思います。
私のありのままの人生や心情を書いてるんだから、ポエマーって思うなら思ってください。

心の中身を書いたらポエマーって思われても仕方ない!!けど、思われたら悲しいです!!とても!!!

久々に書いて居たら6000字近くになってしまった。笑
モヤモヤしていたわけではないけれど、上手く言葉にならなかったこの3ヶ月がやっと言葉にできました。

この3ヶ月間、本当に色んな出会いがあって、書いてる最中色んな人の顔が浮かんできました。
ここまで、自分から矢印を向けて誰かと向き合うことは私にとって初めての経験でした。

自分の私生活を削って時間を作るのは私にとってはすごくストレスになるんじゃないかな、と正直不安でした。
でもそんなことは全くなく、なんなら今日はなんの話しをするのかなってワクワクしてる自分がいたり、オンラインなのにここまで仲良くなれるんだって思うこともありました。

私が16歳の頃に出会った大人と、20歳になって一緒にお酒を飲むようになりました。一緒にプロジェクトをやれるようになりました。

20歳、大人と言われる年齢になるまで一緒に歩んできてくれた大人に、ここまで成長できたよって伝えられる20歳になれて、すごく幸せです。

今年もありがたいことにChoose your life fes 18歳の成人式に関わらせていただくことが出来ました。
去年同様、18歳の成人式は私自身がエネルギーを貰い、また大きなお守りをもらいました。

キャストとして、去年の参加者の子達が戻ってきてくれたこと、去年私がやってもらったことをお返ししたいとバトンを繋ぎに来てくれた仲間がいたこと。

そして今年の18歳の姿も、純粋で美しい景色でした。
今年成人式をしたこともあり、私も大人になるってなんだろうって、考えさせられました。

去年2023年のcylでは
「18年間という簡単では無い人生を生きてきてくれてありがとう」
18歳に向けられたその言葉はキャストであった19歳の私も救われた言葉のひとつでした。

生きる、ということは本当に簡単ではないと20歳になり痛感することばかりです。
大人達からしたら、20歳でそんなことを言ってたらやってられない、そう思うかも知れません。

でも、大人になって忘れてしまっているかもしれませんが学生の間は色んな葛藤があると思います。
簡単に変えられない環境、頼る大人の選別、学校って行かなきゃ行けないのかな、弱音を吐いたら、ダメな自分を見せたら嫌われてしまうのでは無いかと怖くなってしまうんです。

「生きてるだけでえらい」という言葉はまさにそうだと感じます。
20年間を生きてこられたのは色んな人の支えがあったからです。

どん底の底辺を歩いている私にハシゴをかけてくれたのは、先を歩く人生の先輩達でした。

だからこそ、1人で渡れない橋を見つけたとき手を引いて一緒に歩いて行けるパートナーの1人でありたいです。
 
進む道が分からなかった時、一緒に迷路に迷い込む仲間でありたいです。

色んなものを受け取ったつもりで、疎かにしてしまっていたのかもしれない。

これまでは、必要なら私を使ってくださいって思っていた。こんなすごい人たちに慣れないと思っていた。
でも、はじめてこの人達をこえたいって、肩を並べて仕事が出来るようになりたいと思えた。

仲間の姿に「嫉妬する」の意味がわかった気がした。

面白いなこの人って思う人は、他にも沢山いるから。もっともっと色んなものを吸収していきたい。

いつか、彩夏にしか頼めないって言われるくらい頼もしい姿になりたいな。

そして、自分が大人になった時、私ってこの時こんなこと思ってたんだなって見返せるようにその都度残していきたい。

私史上いちばん長いnoteを読んでくれて、ありがとうございました🌻❕


この3ヶ月私に関わってくれた仲間の皆さんへ。

この3ヶ月間、色んな人との出会いがありました。自分のことかな?ってちょっと自意識過剰くらいになって読んでください笑

みんなにとって、私はどんな20歳でしたか。どんな人間でしたか。
あなたにとって彩夏はどんな風に見えましたか。
私はみんなのことを肯定することしか出来なかったかも知れません。

私にとって、みんなと向き合うということは居場所を作ることでした。

出会いを通して、みんなから学ぶことが沢山ありました。
一緒にチームを組んで、ほぼ初めましての状態なのにもう一度会いたいと思わせてくれる仲間に出会えたこと、「聞く」の姿勢が素晴らしいみんなの姿、過去の自分が受け取ったバトンを繋げようとする姿。

「言葉」と言えばあやかなんて言ってもらう場面もあったけれど、私のボキャブラリーはまだまだ浅くて上手く伝えることも出来ずぐちゃぐちゃな言語化ばかりだったと思います。

今年は伝わるまで伝える、ではなく、伝わるように伝える、に変えられるようにレベルアップ目指して頑張ります。笑

自分の感情や伝えたいことをなんとか言葉にしようとする姿勢や、上手く出来ないと言いながら伝えようとしてくれるみんなに私も背中を押されました。

言葉にならない感情と向き合うのって、本当に難しいし、向き合えているだけで本当に素敵だと思います。

これからも色んな葛藤があって、苦しいこと、大人という壁、社会という壁、自分にはどうしようもないと立ち止まってしまうことがあるかもしれません。

「壁まで歩いて来れた自分をちゃんと褒めてあげて欲しい」

私はそんな言葉にすくわれました。
壁の乗り越え方はひとつではないと思います。
もちろん、乗り越える必要が無い壁もあると思います。

だからこそ、困ったら頼ってください。
どの場所に行っても、私は迷惑はかけるためにある!って言ってます。笑
沢山迷惑を掛けて20歳までスクスク育ってきた私なので、私にはいくらでも迷惑をかけてください。

可愛くてたまらないみんなのこと、ずっとずっと応援しています。
3ヶ月間の中で参加したプロジェクトでは全員と関わることができませんでした。でもあの場をきっかけとして、ふとした時頼りたいと思うひとがいなかったらふらっと、私の所へあそびにきてください。

育てたいと思うご縁に巡り合わせてくれて、プロジェクトに関わってくれて、このnoteを読んでくれてありがとう。

そして3ヶ月間、ずっと向き合ってくれたあなたに。あのときからずっと待っていてくれたあなたに、支えてくれたあなたに、感謝しています。


これを読んでくれたあなたに小さな幸せが訪れますように🌻💫

2024.04.04 佐藤彩夏


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