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ばあばあが死んだ

2月15日16:08 ばあばあが死んでしまった。

2年弱、ばあばあは入院していた。症状が変わるたびに病院を転々としながら、「帰りたかあ」「アヤいっしょに帰ろうか。タクシーば呼ばんね」とか言いながら、最近の不確かすぎる記憶と完全にインプットされた昔の記憶の間をうろうろしながら。

91歳まで生きた。往生である。大往生である。戦時中を生きたひとたちは心臓が強いらしい。看護師さんが教えてくれた。

そんな強い心臓がギリギリまでよくがんばってくれて、ばあばあはとてもきれいな顔でスッといってしまった。

死んじゃうなんておもいもしない頃、母とわたしに「悲しかときはおもてにでて太か声で泣け(悲しいときは外にでて大きな声で泣くもんだ)」と言った。

ごめん、ばあばあ。わたしは表に出るよりも先にばあばあの足元で大声で泣いてしまったよ。

箱入り娘で頑固な人だったから、よくある優しいおばあちゃん像とは違うおばあちゃんだった。わたしは今年31になるが、「結婚するだけがしあわせやないよ。最近は大した男もおらん。でもアヤをちゃんと女の人として接してくれる人は必要やね。」など、ふと数々の名言を残してくれていて、話すのが面白いひとだった。あとよく人を見ていて悪口もしこたま言っていた。こちらが恥ずかしくなるほどに。

お通夜の夜、ひとり湯船に浸かりながら、気が乗らなくて嫌々病院に会いに行ったり、ばあばあの言ってることが本当にわけわからんくて腹が立ってそのまんま態度に表してしまったり、どうしようもないことなのに、思い返して自分に苛立って泣いた。ありきたりに泣いた。そしてもう佐賀弁混じりで「アヤ」って呼んでもらえないという事実が急に押し寄せて、ハッとした。寂しくて仕方がなくなった。

死んでしまうってことはもう会えなくなるってことである。わたしが生きている間は。わたしがもし好きな人ができても会わせられないのである。

親しい人が死んでしまうってことはできればあまり出くわしたくないが、また必ずやってきてしまう。また、会えないんだっていう事実がわたしに押し寄せて身動きができなくなってしまうだろう。

でも、わたしはまだ生きちゃっているからこの事実といっしょに毎日を過ごしていくのである。

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