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泉健太を私が立憲民主党代表に推す理由

 私は、今回の立憲民主党代表選の四人の候補者は、それぞれに優れたところがあって、甲乙つけがたいというか、泉健太にやって欲しいが、他の候補が代表にできないとしたらそれもとても惜しい、という気持ちもあります。このことと、各候補の長所と思うところは、後ほど書きます。その上で、今回は泉健太を推したいと思っています。その理由を書きます。

 ほんの少し回り道になりますが、どうして泉健太がいい、と思うかを説明するために、個人的な体験を書きます。私は、十年ちょっと前、上海の米系企業で勤務した時期があったんですが、泉健太の資質を考えていると、少し泉健太と共通するところがあるんじゃないか、と感じる人が同僚にいたことを思い出しました。その同僚は、みんなからとても好かれていて、また信頼されていました。好かれている、とは言って、とても人間的魅力が輝いている、とかそういう華々しい感じではなくて、無頓着でのんき、というか気の置けない感じで、それでいて、誰に対しても一様に誠意とマイルドな温かさがある感じでした。男性ですが、少し女性的な感じもある程度で、さばさばして、気軽な感じ、これです。しかし、仕事は確実で頼めばしっかりとやってくれる感じ、間違いもない、と。仕事は、とても真面目な人がやったのと同じように、しっかり、カチッとしているんですが、それでいて気軽でラクラクとして、彼のいるところには、ほの明るい感じが漂っていました。仕事も、ものすごく打ち込んでいる風はなくて、ポイントポイントをそつなく把握して、とても少ない力でラクにこなしている感じ。こういう人は、いそうで、ほんとにいないように思います。一般には、とても信頼ができて仕事のできる人というのは、傍にいると、少し堅苦しく感じたり、そうでなくても自分が小さく見えたり、あるいは、なんとなく相手に守られているような感じがしたり(つまり自分が小さいと感じる)、ということが多いと思いますが、ほんと対等に気軽に付き合えて、なお且つ仕事の質がとても高い人って、あまり会わないと思います。日本でこんな人見たことなかったな、中国人はこういう人いるんだ、とかなり強い感銘を受けたことがあります。

 コミュニケーション能力 
 さて、泉健太の話になります。この人は、とにかくコミュニケーション能力が高い、説明能力がある、これは多くの人が感じている事のように思います。私は、記者クラブでの記者会見やいくつかのビデオ、BS11でのテレビ出演などを見て、この人はコミュニケーション能力が高い、と思ったし、おそらく鳩山由紀夫らが民主党を作ってからの民主党系の議員の中でも、一番コミュニケーション能力が高い、とも思ったのですが、私の感想か?と思ったら、西村さんに投票したという立憲の議員の方も含め、コミュニケーション能力が高い、と言っている人は多いようです。これはなぜそうかというと、一つには、この人に権威的な感じがないから、だと思います。あまり自分を権威付けするような心の状態がすくないから、誰とでもすっと入っていけるような感じをつくれている、そのような感じを受けます。いい細工は、少し鈍い刀を使う、とでもいうような感じです。

 話し方のスキル
 次に、コミュニケーション能力が高い、の中でも、話し方のスキルの問題です。この点、泉健太はひじょうに優れています。これは、恐らく天性のもののうえに、後天的に自覚的に身に着けて意識的に向上させてきたものが入っていると思います。このスキルの面が、枝野代表はひじょうに悪かった事を、私の以下の文で指摘しています。「立憲民主党の課題 ~ 2021 衆議院選挙の結果を受けて No.3  3. 有権者とのコミュニケーション不全」( https://note.com/a888/n/n3fd14fdfa80f )。ここで枝野代表の話し方スキルの課題として、私が書いたのは、Empathy(共感性)、笑顔を含めた表情、言葉が分節化し、聞き手の脳内情報処理のための間が十分にあること、聞き手の判断に対する尊重、などです。泉健太は、これらはほぼみな申し分のないレベルであり、また、重要な単語や語彙の発音の仕方に対する技術的な意識、もしっかりあるように思います。Wikipediaによると、「大学在学中は関西学生弁論討論交流会会長、全日本学生弁論討論交流会会長を務めた」となっており、Wikipediaのこの記述が正しければ、大学時代に専門的に話し方の技術について、考えていたと考えられます。泉健太は、現在当選8回で、比較的若いながらもベテラン議員であり、この長い経験の間に、当初の問題意識から積み重ねられて、話し方と伝達のスキルが、さらに向上したものと思います。

 いまの立憲民主党の主要な課題は、「受け入れられる事」
 
立憲民主党の代表として、私が泉健太にひじょうに期待するのは、今の立憲民主党の主要な課題は、世の中から「受け入れられる事」であり、泉健太の高いコミュニケーション能力は、それを可能にする最大に近いところにいる、と考えるからです。 
 代表選を通じて、泉健太は、「立憲民主党の良さ」という言葉をひじょうによく使っているように思います。Choose Life Projectというところが主催して、2021年11月27日に行われた、代表選四人の候補者へのインタビュー番組(司会は、津田大介と町田彩夏) https://twitter.com/ChooselifePj/status/1463706351041794052で、泉健太が、視聴者への最後の言葉として、次のように話している下りがあります。(太字部分は、私による強調)

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 党の執行部の意思決定の土台を変える。そして私自身は、逢坂さんのおっしゃる教育ですとか、小川淳也さんの熱量ですとか、そして西村さんの多様性ですとか、そういう一人一人の力が生きる、党運営をして、やっぱりこの党の支持層を拡大させたい、と思います。私があまり政策のことをまああえて語らないのは、政策は正しいと思っているからです。政策や理念はそのままでいい。だけれども、この政党がもっと多くの有権者に受け入れてもらうには、やはりもっとこの政党のよさを伝えていくことが必要だ、ともすれば自民党と戦うことばかりが、先行して伝わってしまってですね、やはり国民の皆様に立憲民主党のよさ、これを伝えるというところが後ろまわしになってしまったんじゃではないか、このあたりをですね、ぜひ強化をして、立憲民主党のすばらしさをどんどんどんどん世の中に伝えていく役割を果たしたいと思います。 
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  また、BS11の「報道ライブ インサイドOUT」  2021年11月10日の番組でも、「もっともっとですね、この今の立憲民主党のよさというものは、訴えていけるはずだと思うので」と話しています。
 他の三候補と比べて、泉健太が突出しているのは、自分がどう考えるかを話すと共に、それと同じくらいの重みをもって、相手、国民、あるいは「他者の目に映っている」立憲民主党の姿をはっきり把握して、本当の立憲民主党と、その「相手の目に映っている立憲民主党」の像の大きなギャップを、少しでも埋めようという意識が、はっきりしていることだと思います。これまでの立憲民主党の失敗は、自民党政治に対してどう対峙しようか、という点に注力するあまりに、「有権者の目に映っている立憲民主党の像」に対して無頓着であったことにあると思います。これは、実際には、一義的には、多分に誤解や、マスコミの問題ですが、「それに対してどう対処するか」という考えや戦略が、立憲民主党として、少なくともあるべきでした。枝野代表の下での体制では、我々が正しい事をしていれば、まともな人であれば分かるはず、という思いがあったと思われます。そして、正しい事をすることだけに注力して、誤解に対する対処が弱かったように感じます。枝野時代の、立憲民主党への誤解への対処は、「批判ばかりではない」と主張するというような「受け身の態度」で、外の人たちからは、往々にして、言い訳、の印象を与えるものでしたが、泉健太が言っているのは、「我が党の魅力」とでもいうような、「積極的なもの」であることに注意が必要です。この違いは、よく区別して考えないと分からないかもしれませんが、泉健太は「プラス」を発信しているわけです。これは、かなり人生観の違い、とでもいうようなもので、このプラスの発信が、いままでの立憲民主党にはありませんでした。対処方法が、全部、圧力に対するカウンターのようなものだったわけです。枝野代表を支持していた人の間では、泉健太が代表になると、右旋回して党が大きく変わってしまうのではないかと心配している人が多いと感じますが、泉健太が、上記のChoose Life Projectのインタビュー番組の中で、以下のように語っていることに注意してほしいと思います。(太字部分は、私による強調)「私があまり政策のことをまああえて語らないのは、政策は正しいと思っているからです。政策や理念はそのままでいい。だけれども、この政党がもっと多くの有権者に受け入れてもらうには、やはりもっとこの政党のよさを伝えていくことが必要だ」。この言葉から考えて、おそらく、泉健太の目指す社会像は、枝野代表が目指していた方向と大差ないように思います。ただ、そこに至る「方法論」が違う、ということです。私が思うに、泉健太が取ろうとしている方法論は、より効率的な(費やした力がより大きな結果を速く生む)方法論である、と言えるように思います。

  立憲民主党は、私は一支持者として、正直のところ経済政策だけは、ほんとうに、よく考えられていない印象をずっと持ってきました。しっかりしたものが作られる必要があると思います。しかし、その他の政策に関しては、ジェンダーや気候変動、原発、弱者保護、法律順守、などの考え方に関して、自民党より遥かによいと思います。議員も真面目な人が多いと思います。この真面目である、ということは、その重要性についてあまり取り立てて言う人がありませんが、何にも代えることのできない政治的財産と思います。

 では、今の立憲民主党について何が最大の問題か、といえば、マスコミと国民の頭のフレームワークの中で、「駄目な方」に入れられてしまって、そこから出られなくなってしまっている事です。印象が固着化してしまって、実際の内容にかかわらず、評価されない状態になってしまっている、事だと思います。これは、「甘い」見方だ、という考え方もあると思いますが、私は、そうではなく、これは客観性のある見方だと思っています。今の日本国民の立憲民主党に対する見方は、学校における「いじめ」とも、大衆心理的なあらわれ方は似たようなところがあって、一度レッテルをはられて合意形成されてしまった生徒は、他の生徒同士の精神的ボンドから、皆から忌避されて、いじめる事、あるいは仲に入れない事が、仲間意識の確認手段となっている、という、いじめの集団心理的構造と似たような感じを受けます。ですから、学校におけるいじめであれば、学校側が介入して生徒を助け上げる必要がありますが、政党の場合、自らプラス情報を発信し、周囲とコミュニケーションをはかり、自ら「イン」と「アウト」で言えば、「イン」のほうに入っていく、ことが何よりも政権戦略上、大切な時期であるように思います。そういう状況の下で、コミュニケーション能力が極めて高く、発信がカウンター型ではなく、「プラス型」である泉健太は、今の時期にもっともよい代表であるように、私には思われるのです。

 実務能力がある 
 
泉健太は、国民民主党で政調会長だった時、同党代表である玉木雄一郎が反対する中、国民民主党議員の立憲民主党への合流を成功させました。当時は平野博文が国民民主党の幹事長だったので、合流については平野博文の貢献のほうが大きいのではないか、と思いますが、以下のような記事から、政調会長だった泉健太の貢献も同時に大きいのではないか、と思われます。

朝日新聞デジタル2020年9月3日https://www.asahi.com/articles/ASN931FSXN91UTFK030.html
『立憲が国民に新党結成を提案し3週間あまりたった8月11日午前11時半ごろ、国会近くの国民民主党本部8階。代表室を飛び出そうとした玉木代表を泉健太政調会長(46)が追いかけ、体を張って玉木氏を制止した。「駄目だ。そんなことしたら」フロアを仕切るドアを隔てた先には、記者たちが待機していた。玉木氏は「やめろ。記者会見するんだ」と声を荒らげ、泉氏を振り切ろうとした。驚く党職員らの前で泉氏が玉木氏をなだめ、近くの部屋に連れ戻した。』 

 この記事が概ね正しいと仮定しての話ですが、代表を追いかけて、体を張って?制止し、なだめて連れ戻した、わけです。
 この他、枝野代表の時には立憲民主党の政調会長であったことから、共産党をはじめ、他の野党との候補者一本化についても調整していると思われます。
 朝日新聞で、世論調査部長だった前田直人は、2021年11月30日のツイッターでのツイートで『共産党の理論誌「前衛」2018年11月号に掲載された「野党国対委員長大いに語る」という座談会記事に泉氏が辻元氏や穀田氏らとともに登場』していて、泉健太は『当時は国民民主党所属で、野党共闘の下地づくりにかかわってきた1人でもある』と書いています。
 また、立憲民主党支持者の間で、おそらく一定の影響力があるのではないかと思われる木下ちがやは、ツイッターのアカウント@sangituyamaで、2020年4月17日のツイートで、「国民民主党を取りまとめている実質的リーダーは泉健太であることに、気づいてる人はどのくらいいますかね。あまり話題にならないが、汗をかいているのがわかる人は評価してますよね」と書いています。
 また、2020年8月11日の毎日新聞https://mainichi.jp/articles/20200811/k00/00m/010/269000c は、「泉健太政調会長はその後の会見で、役員会では玉木氏の分党の提案は了承されていないとの認識を明らかにした」と書いています。少なくとも、立憲民主党との党全体での合流をよしとしない当時の玉木代表の意向に対して、すぐに認める、という立場ではなかったことが分かります。

 無駄のない、各種のベクトル規定能力
 泉健太について、党内での働き等については知らず、二回の代表選関連のインタビューや討論会、代表選での演説など、テレビで放映された本人の話だけを見て、「実務能力がある」と評する人もいます。実務をしているところを見たわけでもないのに、なぜ、そういう評価がでてくるのか、と考えた場合、泉健太の話を聞く限り、合理的で無駄がない、という印象を強く受ける人がいる、ということだと思います。

 全体に、実務能力の高い人は、全体の直観的な把握ができる、個々の動作が確実にできる、自分の力を無駄なく適切に配分できる、人間関係を滑らかに運べる、しかも、一方で適切な自己主張もできる、などの能力があると思います。おそらく、泉健太を、実務を見ずに「実務能力がある」と評した人は、泉健太の話しぶりから、そのような印象を受けて、実務を見ていないことを忘れて、「実務能力がある」、と評したのではないか、という気がします。
 私は、今回の代表選の間、泉健太の出演しているテレビ番組、討論会、演説、ビデオ、などを、過去のものも含め、随分見ましたが上で挙げた、実務能力のある人の特徴を感じさせる表現にたくさん会いました。思いつくままにあげましょう。
 泉健太は、選挙戦を通じて、維新との提携を目指している、共産党との共闘に消極的、などと報道を通じて理解されて、一部のリベラルの人たちから随分批判されていました。実は、これらは、それら一部のリベラルの人たちにとってと同様に、私にとっても懸念材料でした。実際にこれらテレビ出演等を通じて詳しく話を聞いたところ、泉健太の考えは、一般に拡がっている印象と違う、と思いました。維新の躍進と報道されているものは、大阪メディアが持ち上げている特殊事情によるもので「瞬間風速」的なものである可能性がある。立憲は維新とは相いれない所があり、立憲は立憲のよさを大切に独自で歩み、政策的に一致するところがあれば、そこはやれ「れば」いいかもしれない、というのが、まず維新についての泉健太の考え、と理解できました。BS11での発言の、これ「れば」の所は、前後と区切ってかなり、そういうこともなくはない、のような仮の可能性(単に可能性としてはありうるだけ)という聞こえ方の発声で話されていて、維新と一緒にやる、というのは明白に誤報と考えてもよいものでした。これは、維新と、たとえ個別政策についてにせよ、一緒にやる、ということは、一部のリベラルの人は絶対に許しがたい、と思うことなのですが、実際にどうかと考えます。維新の会は、2021年10月末の衆院選で、41議席も取ったのですから、ある程度の勢力です。完全な拒絶では国会運営の戦略上、また次の衆参の選挙に大きな支障がでてきます。特に次回の選挙について、維新と選挙協力する余地さえ閉ざしていた場合、維新が多数の選挙区で候補を立ててきた場合、リベラルの人が望んでいる共産党との選挙協力をしてさえ、野党の一本化で自民党と1対1の互角にする、という戦略は、当然ですが根本から崩れてしまいます。野党が一本化するから自民党に勝てる、というのが共闘の基本的考え方であり、反自民票が、立憲共産、維新でスパッと分かれてしまえば、その戦略の前提は崩れるわけです。また、維新は、国会議員団と大阪維新の会では恐らくカラーの違いがあり、過去には、米山隆一とか、田中康夫まで維新から立候補したわけですから、本体は敵でも、個別の議員は必ずしも敵でない人もいる、あるいは、完全に反リベラルではない要素もある可能性があります。さらに、最近の世論調査では維新の支持率は14%などとなっているものもあり、維新を完全拒絶するかのように立憲民主党の側から言えば、これらの14%の国民は、立憲民主党について飽き足らなく思っている、あるいは多少の不信を抱えている人が多いと思います。そうすると、維新を個別の政策に拘わらず、完全に否定してしまうと、それらの国民からしてみれば、自分の心情も完全否定されるようになってしまい、これらの気持ちのはっきり定まっていない浮動層を、そうした立憲民主党の態度への反感から、維新支持、反立憲で固定してしまう作用を生んでしまうかもしれません。特に選挙の事が大きいですが、維新の完全な拒絶は、そのような理由から、いまのところ愚策である可能性が高いと思います。ですから、必ずしも立憲支持とは限らない一部リベラル層に忖度して、次期選挙で立憲の票を減らし、結果的に立憲民主党のリベラルの政策の実現をかえって遠いものにしてしまわない計算がしっかりできている、という意味で、泉健太のこの言い方は実務的である、と私は考えます。

 また、共産党との共闘に否定的、あるいは消極的、という点について、私も、泉健太の各種姿勢の中で一番心配していました。しかし、2021年11月10日の番組を見るに、泉健太は、小選挙区では大きく議席を増やしている、ということははっきり認識していて、つまり選挙結果を冷静、客観的にしっかり把握していて、共産党との選挙協力の効果についても同様にはっきり認識している事が分かりました。彼は選挙区での候補者一本化については必要と考えています。ただ、同番組を見て分かったのですが、泉健太が、所謂、野党共闘について考え直すべきだ、と考えている理由は次の所にあります。彼の考えは、要約すれば、共産党(これは一例で、他党についても同じ)と立憲民主党が統一政策のような形をとったため、1+1になるべきところが、両党の政策や訴えがそれぞれ玉虫色のようになってしまい、足し算で2とならずに、取りこぼしがいっぱい出てしまった。つまり、それぞれの良さが減殺されてしまった。これが一つ。この点の泉健太の考え方は、聞いていてひじょうに納得できました。泉健太の言葉をそのまま引くと以下の通りです。(一字一句の書き起こし) (太字部分は、私による強調)

「野党共通政策とか、野党統一候補という呼ばれ方、語られ方になって、立憲がこれをやりますっていう部分が、やっぱり弱く映ってしまったというか、あいまいだったと思うんですね」「立憲民主党には立憲民主党の役割がある。共産党さんや、れいわや、社民党、それぞれにも役割があって、特に立憲民主党の役割っていうのは、共闘といって、ぐうっと同じところ、ゾーンに集まるのではなく、むしろ共闘であるならば、拡げていくところが期待されるのが立憲民主党の役割なんですね」

 聞いて、確かに、共産党は共産党の政策、立憲民主党は立憲民主党の政策、という形で別々に訴えたほうが、いろんな頭のフレームワークの人がいるんですから(というより両党の支持者の頭のフレームワークは大きく異なるのですから)、比例での総得票数はずっと上がったはずだ、というのが泉健太の考えなんです。聞いて、いて、頭が切れると思いました。

 全員野球的志向と包容力
 枝野代表がミリ単位で、出来得る限り自分の構想通りにする、というガチガチタイプだったのと比較して、泉健太が緩くて各人に自由度を持たせる傾向が強いのは、枝野代表とのコントラストではっきりしていると思います。そもそも泉健太は、国民民主党との合流後の2020年9月の代表選で、このように言っています。https://www.youtube.com/watch?v=UGWQOGhqUco&t=1737s 「【ノーカット】国民・泉健太氏と立憲・枝野幸男氏が代表選共同会見」2020/09/07

 「風通し、これは本当に大事です。野党第一党の、百五十人の政党ですから大きいです。そういう中で、当選回数だとかで、自分のいいたい事がもし言えない政党ではいけないし、そして分かり易く言えば、幹部が偉そうに振る舞う政党ではいけないという風に思います。私はやはり幹部、執行部は、まず自分たちが汗をかき、率先垂範で仲間たちの活動を支える、全国の活動を支える、そういう存在であるべきだと思いますし、やはり、多くの所属議員の声、意見、政策を真摯に受け止める、そういうところで、党内コミュニケーションをしっかりと活性化させて、それが党の活力につながっていく、というふうに信じています」

 また、泉健太は、代表選は本来、党員サポーター地方組織など含めたフルスペックのものでなければいけない、ということも言っています。枝野代表が、私のいう「ガチガチ」タイプだったのは、本人の性格と共に、民主党政権時代に党内で議論百出、党内ガバナンスに不信を生んだ、という反省に基づくところ、また、そもそも2017年の結党からもあまり経っておらず、合流による不安定な状況であった、という事情があると思います。まあ、いずれにしても、枝野代表との比較において、泉健太は、自由にものがいえる雰囲気、人材発掘、などが大切と考えていることが分かると思います。また、テレビ出演などを見ても、枝野代表が、番組司会者や記者などからの問いに対して、ひじょうに防衛的で時に取り付くしまもないような態度であることが少なくなかったのに対し、泉健太のほうは、主張することははっきり主張しながら、笑顔も交えた話しやすい態度で応対しています。これも、相手に自由度を与える態度、といえます。全体に他人の行動に対する不安感が少ないので、これが一人で抱え込むのでなくて、大勢の人に権限を与えて比較的自由にやらせる、という姿勢につながるのではないか、と推測されます。実際、今回の衆院選後の2021年11月の代表選でも、選挙期間中に、代表選を戦っている相手である他の三候補に執行部に入ってもらう意向を示したり、執行部の半分を女性にする、と言ったりしています。執行部の半分を女性にする、という点にしても、自分がリーダーである時に、他の役職を誰に任せるか、ということを実際にやったことがある方なら分かると思いますが、こういう事はなかなか簡単なことでありません。そもそも立憲民主党でも女性の議員数は、男性の議員数よりずっと少ないのですから、少ない人材の中から抜擢しなければなりません。能力不足だったらどうしようかと、当然、多くの人が二の足を踏むようなところです。それを恐れずにやっているわけです。
 また、先にも書きましたように、泉健太は、今回の立候補前から選挙戦を通じて、しきりに、立憲民主党のよさ、ということを言っています。再掲になりますが、もう一度、BS11の「報道ライブ インサイドOUT」  2021年11月10日での泉健太の発言を見てみましょう。

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 「党の執行部の意思決定の土台を変える。そして、私自身は、逢坂さんのおっしゃる教育ですとか、小川淳也さんの熱量ですとか、そして西村さんの多様性ですとか、そういう一人一人の力が生きる、党運営をして、やっぱりこの党の支持層を拡大させたい、と思います。私があまり政策のことをまああえて語らないのは、政策は正しいと思っているからです。政策や理念はそのままでいい。だけれども、この政党がもっと多くの有権者に受け入れてもらうには、やはりもっとこの政党のよさを伝えていくことが必要だ、ともすれば自民党と戦うことばかりが、先行して伝わってしまってですね、やはり国民の皆様に立憲民主党のよさ、これを伝えるというところが後ろまわしになってしまったんじゃではないか、このあたりをですね、ぜひ強化をして、立憲民主党のすばらしさをどんどんどんどん世の中に伝えていく役割を果たしたいと思います。」
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 つまり、今回の各候補者の訴えの核心の一つをそれぞれに取り上げて称揚し、その良さが国民に伝わっていないことを残念視し、それをどんどん世の中に伝えていきたい、と言っているわけです。また「私があまり政策のことを、まあ、あえて語らない」と言っているのも注意が必要です。(「私」とは泉健太のこと) あまり細かく見ていないのですが、確かに、泉健太が選挙戦を通じて、党運営や他党との協力について比較的見える形で語っているのと比較すると、政策についてはあまり明確に語っていない印象があります。これは、立憲のよさ、よさ、と何度も言って、他の候補者を称揚しているのと合わせて考えると、政策は合議で決めた方がよい、と考えているとも考えられます。
 このように、泉健太は全体に集団としての立憲民主党を大切に考えており、その集団としてのアビールを、現時点でのほとんど最重要課題の一つ、と考えている印象があります。少なくとも、選挙戦と代表就任直後の印象は、チームプレーを意識したもので、枝野時代のトップダウンの印象とは大きく異なっています。枝野代表時代は、組織が脆かったので、あのやり方は、私は概ね必要だったと思っていますが、今回の代表選を見ても、ほとんど党が割れる、というような感じは少なくとも表面上は全くなかった、産みの苦しみの時期を経て、かなり一体感の出た立憲民主党の現在の状況では、多くの人がそれぞれの場所で、それぞれに力を発揮できる全員野球的な感じは、党の現状に合っており、大きなプラスになるものと思います。枝野時代は、国民の受ける印象はおそらく「枝野さんの党」だったんですが、これからは、今回の他の三候補、西村、逢坂、小川、などの他、多くの人が前面に出て、そのそれぞれの魅力の相乗効果で支持層が拡がって固まることのできる時期に入ったと思います。時間を節約するために、いまひとつの楽な比喩で言えば、例えば過去、ジャニーズのグループなどでも、それぞれのメンバーの違った魅力にそれぞれ惹きつけられる人がいて、それが全体の魅力として結晶していたのと似たことが言えると思います。特に政治は、国民の頭のフレームワークは千差万別であり、しかも政治であるから、その好みも極めて強いものなので、異なる頭のフレームワークを代表できる様々な人材が目立つ形でいたほうが、政党としての安定性も柔軟性も大きく上がるのは明らかです。

 批判と政策発信のバランスに対する考え方が的確
 現時点では、泉健太は、立憲民主党が与党の批判をすることに否定的である、と一般に考えられています。これは、しかし、泉健太の考え方ではなく、現在世の中に一般的である頭のフレームワークのフィルターを通すと、そのような見え方になる、ということです。今回の代表選に立候補する前から、代表選中、代表就任直後のテレビ出演等をかなり長時間見て、仔細に分析すると、これと違った泉健太の考え方が見えてきます。

 かなり長時間、泉健太の話を仔細に聞いた中で、自分で汲み取ったこの人の中心的な考え方は、政党に投票がされるには、その政党自体が魅力的とみなされる必要がある。批判は野党の役割として必要だが、批判をする事自体に魅力を生む要素は少なく、それだけでは(連立政権としても)政権を取れるほどの得票の出来る政党になりえない。それでは立憲民主党の掲げている、分配、ジェンダー、原発のない社会、などの方針も机上の空論で実現せず、党内の素晴らしい人材も全く生かされない。だから、批判の姿ばかりが報道されないように合理的に行動する必要があり、特に枝野時代との違いとしては、批判の発信に対する、立憲民主党の政策の発信の割合を大幅に上げる必要がある。だいたいこのように要約できると思います。つまり、批判の発信に対する、党独自の政策や魅力の発信の割合を大幅に高めるべきだ、という政権奪取のための極めて合理的な考え方に基づく主張なのであり、泉健太は、批判自体が問題である、とは考えていません。ただ、批判のやり方についいては、大きな声で問い詰めるのが有効ではなく、時代に合った冷静でマイルドなやり方のほうが効果的でないか、と考えている節(ふし)があり、この面では旧時代人間である私には、若干にわかに考え方がすべて理解できていない点もありますが、おおまかには、彼は自公政権の批判自体を問題と考えているのではなく、党の政策や魅力の発信との比率の観点から、立憲民主党の政策と魅力の発信の割合を大幅に高めるべきだと考えており、また批判は、国民にマイナスのイメージで受け取られやすい、という現実の制約から考えて、重要度や優先順位から副作用のほうが大きくならないように、合理的な戦略を立てて行わなければならない、という考え方だ、といえると思います。
 毎日新聞2021年11月28日 https://mainichi.jp/articles/20211128/k00/00m/010/266000cでは、泉健太が『「権力は監視するが、他社製品をこき下ろしても自社製品は売れない」と述べ、政策提案を強化すると強調』、と語ったと報じられています。一方、与党の批判を否定しているわけではないことは、以下のBS11の番組での11月10日の泉健太の発言で分かります。「追及をやめて、提案だけ与党にしてりゃいいか、それだったら別に与党のシンクタンクと一緒ですから、そうじゃないと」と話しています。大手メディアでいろんな機会に頻繁に取り上げられた、泉健太の「提案」という言葉については、彼はある時は「提案型」と言ってみたり、またある時は、このように「提案」を否定してみたり、若干、用語の使い方に統一性が見られない問題があるんですが、色々な場所での発言を総合してみると、彼が「提案」と言う言葉で表現しているのは、与党への提言でなく、政策立案、もしくは政策の提示のことであることが分かります。泉健太の言っているのは、自民党への提案ではなく、国民への政策の提案です。自民党への提案ではなく、国民への提案だ、というのは、ほぼこの通りのことをどこかで今回の代表選挙中か、代表選挙直後に発言していた、かなりはっきりした記憶があります。探し出せば恐らく見つかると思いますが、時間がかかるため、今は割愛し、見つかれば追記します。

 また、私自身は、「立憲民主党の課題 ~ 2021 衆議院選挙の結果を受けて No.2  2. 陥った批判の罠 批判で被統治側の印象が定着した」https://note.com/a888/n/nb221b06ad630という私の文章の中で、「立憲民主党も批判は、現野党として必ずしなければならない仕事ですが、一方で、情報発信の半分くらいは必ず自党の政権がどのようなものになるか、自党ならどうするのか、というものにし、国民に希望を与え、温かい気持ちにさせるものでなければならないと思います」と書いています。これは、泉健太について、ほとんどこの人のビデオも見たことがなかった時に書いたもので、泉健太の考えとは全く別に、私単独、独自で出てきていた私自身の考えです。図らずも全然相互に関係のないところで、概ね共通した考えが出ていたことになります。国民は、野党による批判は求めていますが、いくら与党についてしっかりした批判をしているからといって、国民はそれだけでその野党に投票はしません。必ずその野党自体が信頼するに足る、自分の生活を託してよい、と思う事が別途必要なのです。ここのところを泉健太は考えているわけです。批判がどうこうというのは、その方法論に過ぎません。

 なんでもやろうとする態度と明るさ
 
最後に、一番印象的、というか気が付いたことを言っておきたいと思います。新代表に選出されて直後に、2021年12月1日に、北海道ニュースUHBというところが報じている「立憲民主党の新代表 泉健太氏は"札幌市生まれ石狩市育ち"の道産子 親友が語る中学・高校時代の姿」(https://news.yahoo.co.jp/articles/469e66a069e388afa479ef0d83d0d58cafb35cfe)という記事で、中学高校時代の親友で野球部でも一緒だったという河原一公さん、という人が、泉健太について、こう話しています。

「あの人ね、何でもやろうとするんですよね。監督に泉、ピッチャーやってみろと言われて、ピッチャーなんかやった事ないのに『俺やってみる』と真顔で言うから。今までやった事ないからやらないんだ、とかじゃなくて、それこそ、前例にとらわれない」

 なんでもやろうとする、どうでしょうか、人生のあらゆる方面において、たいへん参考になることでないでしょうか。

 立憲民主党のベクトル調整ができそうに思えること

 私は立憲民主党は、入れ物として、たいへん将来性のある組織だと思います。各種の方面で、ほんの少しだけそれぞれにそれぞれの分野で細かいベクトル調整ができれば、多くのことがうまく回り始めそうな気がします。このなんでもやろうとする、態度でこのベクトル調整が出来そうな人物として、私は泉健太を推しています。とはいえ、身近にいるわけではありませんから、100%は分かりません。間違える可能性はあります。その時はまた考えを変えます。しかし、現時点でひじょうに期待がもてる可能性の高い人として私は泉健太を見ています。

江南 著作物、記事一覧
https://note.com/a888/n/n2caf364f4687

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