大海の中

お疲れ様です!
日々皆様お疲れ様です!

写真や短歌など修行中の七川有子です。

「海が裂け 荒れ狂うほどの 波間より 見えたは道だ いざ、進まん」(短歌 七川有子)

「十戒」という映画があります。

私は中高がカトリック系の女子校でして、中高時代にも授業の一環として何度か拝見しています。

十戒の十が何を意味しているのか調べてみたところ、どうにもキリスト教的な内容でして、ここに記すのは控えておこうと思います。

映画「十戒」の中で海が裂けるシーンはとても印象的です。

映画のワンシーンというのは深く印象に残りますような。

写真や短歌なども他の先生の写真や短歌が深く印象に残りますようで、日々SNSに参加していると慌ただしく作品を拝見したりすることもあります。

けれど、SNSが慌ただしくなるから廃止しようねの流れになったら寂しいと思うのです。

流れるようなタイムラインの中で宝石のような記事もあれば、「ふふふ分かるよなあ」と共感するような記事も流れてきてくれます。

現在の私の写真や短歌などの活動の主はSNSに参加することです。

Twitterやinstagramなどに参加している写真や短歌のご関係者の方は多く、特に珍しいことでは無いように思います。

けれど、時々戸惑うのです。

大海の中にあってスルルルル~ッと流れてゆくような一枚の写真や一個の短歌に込められた思いはヒョロロロロ~ッと流れて消えてゆくのではないかと。

その割にはどんどこSNSに写真や短歌などをアップし続けているのではないか!と自分で自分に突っ込んでみたいと思います。

沢山の方の作品や思いを拝見拝読できることも良いSNSです。

そのようなSNSという大海の中で、自分は目的や目標を見失わずに参加できているかどうか。

とても迷いや悩みもあります。

けれど、大海であるSNSに寄り添うことで何か見えてくるかもしれません。

例えばSNSが切っ掛けで素晴らしい作品や好きな作品に出会えたですとか。

例えばSNSを更新することを目標にまた写真を撮ったり短歌を作ったりしなくてはと、自分の作品的なものを新たに新たに作らねばという気持ちが保てるですとか。

私は現在、写真や短歌などの修行中でして、まだ自分のスタイルというのは模索中です。

しかし、それならそれで沢山の数、写真を撮ったり短歌を作ったりもした方が良いと思うのです。

けれど。

何か達成したというご報告がまだできません。

丸々コンテストで受賞したよですとか。

写真や短歌などで稼ぎがあったよですとか。

それはそれで今後の課題としまして、今は大海の中を泳ぐにしてもまだ手探りでも良いのかもしれないと思い始めました。

SNSという大海の中を泳ぐ。

手探り状態で泳ぐ。

大海と言えども何かにぶち当たるかもしれませし、手応えがあるかもしれません。

私は大海の中のただの水滴ぐらいなんだなとは思いますが、水滴にしましても大海の中にいることを忘れて不用意な発言はなるべくしない方が良いだろうなですとか。

(手応えというのは自分が大海の中の水滴ぐらいという自覚があるということも入るのかもしません)

よし!冒頭の短歌ですが。

道は見えるのですが、その先進みながら様々なことがあるにしても。

今はSNSという大海の中でもがいたりあがいたりしたく思うのです。

あれこれとSNSについて語るよりも、まずは進もうと思います。

TwitterやInstagramも宜しくお願い致します。

「七川有子」とご検索頂けましたら幸いです。

よし。それでは皆様、良い週末をお過ごし下さいね!お読み頂きましてありがとうございます!


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