政治思想マトリクス考察、或いはリベラル/パターナルとは何か。

前書き

こんにちは。ふぃるです。

前回は「フェミニズムを定義する」の記事に様々な反響を頂きまして、ありがとうございました!

前回の記事でも「この本では…」「フェミニストの誰それが言うには…」「第何派フェミニズムでは…」「リベラルフェミニズムでは…」といった話が一切出て来なかった事にお気付きの方もいるかも知れません。

もちろん、歴史的分析は重要な事ではあると思いますが、現在の現実でのフェミニズムがどの様なものかを把握するには、時に迂遠に過ぎ、部分的な理解に留まった場合むしろ誤解に繋がる可能性もあると思います。

なので「では今、単にネット上で"フェミニズム"と言った場合、現実的にどの様な意味になるか」という事を、観測を元に端的に定義するという事を試みたのが前のnoteでした。

今回のnoteも、前回と同じ様な姿勢で、つまり、歴史的経緯や専門用語をどれだけ正確にトレースするかよりも、"現在の、一般人の感覚の言語化"を目指して政治思想について語りたいと思います。

既存の政治思想分類の枠組み

さて、政治思想のポジションを探る時、大別して二つのマトリクスがよく使われます。
「経済統制の大小」と「文化統制の大小」という二軸を採用したものと
「リスクの社会化/個人化」と「リベラル/パターナル」という二軸を採用したものです。

経済統制の大小と文化統制の大小
リスクの社会化/個人化とリベラル/パターナル

しかし、私は其々に問題があると考えます。

経済統制の大小と文化統制の大小を軸に取った場合の問題

まず「経済統制の大小」と「文化統制の大小」という区分は、実は我々が実際に直面する政治課題を適切に解決しない場合が多々あります。

公益を考えた場合、経済統制が小さければより自由で活発な市場が訪れ、一方で経済統制が大きければより安全で平等な市場が訪れるであろう事は想像に難くありません。

では、文化統制に関して、小さい場合のメリットはともかく、文化統制が大きい場合の公益とはなんでしょうか?
実際のところは安全保障や治安といったメリットに基づいて主張されている訳ですが「文化統制が大」とざっくりとまとめてしまった場合、いまいちその点は伝わりません。

更に、例えば「風俗業を規制すべし」という主張があった場合、果たしてこれは文化統制なのでしょうか?それとも経済統制なのでしょうか?
ではそれが「過剰な広告を抑制すべし」だったら?「金融市場により厳格なルールを布くべし」だったら?

つまり、文化統制と経済統制は不可分であり、この二軸でマトリクスを作る事には無理が生じるのでは無いでしょうか。

リベラル/パターナル軸を採用した場合の問題

次に「リスクの社会化/個人化」と「リベラル/パターナル」という二軸を採用した場合です。

此方の問題点は、そこで用いられる言葉が余りに誘導的過ぎる事です。

リターンについて言及の無いままに「リスクが個人化された方が良いと思いますか?」と言われて、首肯する方はいないでしょう。

また、努めてメリットを探す視点を持たない限り"パターナル"という言葉に肯定的な意図を見出す方は少ないでしょう。

これでは「良い政治と悪い政治、どちらが良いか」と聞いている様なもので、とてもまともな分析が出来るとは思えません。

という訳で、私は「現在の、現実での在り方に即して、政治思想を論じるに適切な軸は何なのか。」というところを改めて考える事にしました。

パターナルの擁護

さて、先ほど「努めてメリットを探す視点を持たない限り"パターナル"という言葉に肯定的な意図を見出す方は少ない」と言いましたが、務めたらどんな肯定的な意図が見いだせるのでしょうか。

実はパターナルについては、前回の私のnoteで定義してありますので、それを参照してみます。

1.1. ここでいう"家父長制"とは、パターナルとカタカナ語化する事もでき、また以下の2つの別の事柄を同時に指す。
1.1.1. リーダーは一般に男性であるべきだという前提を持つこと。
1.1.1.1. 但し、フェミニズムの想定する"家父長制"の説明としてこの点は重要だが、その他の意図で家父長制、パターナルと言った場合、この意味を全く含まない場合もある。
1.1.2. 誰かが誰かの面倒を見て、面倒を見る側は相応に強い権利と責任を持ち、面倒を見られる側は可能な範囲で恩に報いなければならないとする関係構造を是とすること。

https://note.com/a4phil/n/nf8f2071be401

ここでは「1.1.2」の定義に注目する事とします。

例を挙げて、具体的に考えてみましょう。


親のいない家庭の姉妹がいたとして、姉が妹の学費や生活費を払い、妹の大学進学をサポートしたとします。

姉は妹に対し、「余り遅くまで遊び歩くな」と言うなど、教育者として振る舞う権利を持つでしょうか?

また、将来自分が困った時に妹に頼み事をするなど、恩返しを求める権利を持つでしょうか?


ここでの姉の立場の権利を認める思想が全面的に理解出来ない方は少ないのでは無いでしょうか。

一方で、姉がその恩を永久に妹に語り続け、横暴なまでに権利主張をするのは否定されるべきです。

昔の社会は今よりずっとパターナルだった訳ですから、その様な横暴の抑制が重要なテーマとなったのは無理からぬ事です。

しかし、我々がパターナル、もっと良い面に注目した言い方をすれば"共助""身近な助け合い"を完全に否定した社会を生きられるかと言えばそれも難しいでしょう。

横暴の抑制も推し進めていくと「お金を稼いで来るからといって、一方的にものを頼んではいけません。」等、そういった事にまで国家権力が介入してくる事になります。
行き過ぎれば、先ほどお話した共助や身近な助け合いを阻害する可能性も想像に難くありません。

新しい政治思想マトリックスの提案

さて、ここまでの話から、価値中立的な政治思想マトリクスを考え
「公助か、公権の暴走の抑止(国家権力からの自由)か」という軸と、「共助か、身近な横暴の抑止(身近な支配からの自由)か」という軸の二軸を提案します。

「経済統制の大小」と「文化統制の大小」という二軸や「リスクの社会化/個人化」と「リベラル/パターナル」という二軸が本来示そうとしていた内容とも、遠からずなのでは無いでしょうか。

因みに、一般的な政治思想で近いものを当てはめると、
コンサバティズム・・・公助重視、共助重視
ソーシャリズム・・・公助重視、身近な支配からの自由重視
リベラリズム・・・国家権力からの自由重視、身近な支配からの自由重視
リバタリアニズム/ネオリベラリズム・・・国家権力からの自由重視、共助重視
となると思います。

補足:国家権力からの自由と身近な支配からの自由の微妙な関係

ところで、身近な支配からの自由を実現する方法とは何でしょうか。
それは国家権力や全体主義的な道徳による抑止に他なりません。

これがリベラルという立場を難しい議論に立たせます。
例えば、"ポリティカルにコレクトネスな表現を心がけよう"という試みは、リベラルな価値観に則れば"身近な支配からの開放"である一方で、国家権力や全体主義の立場を強化しているとも言えます。

この場合、リベラルは矛盾した立場に立たされ、どの様にバランスを取るかが求められます。

それを反転させると、リバタリアニズムは"別に共助を求めているのではなく、仮にそれが身近な支配からの開放という文脈であっても、国家権力や全体主義の立場の強化を否定している"とも言えます。
むしろ、リバタリアニズムの説明としては、此方の方がしっくりと来るでしょう。

あとがき

さて、皆さまの思想に近いものはどれだったでしょうか。

普段自分が属していると考えている思想の、また違った一面に注目する事など出来たでしょうか。

では、今回はこの辺りで。

このnoteが皆さまの知的な考察、議論の一助となる事を願っております。


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