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花として

昭和39年10月24日。ある青年が食堂に入り、カツ丼を注文する。待っている間、据付けられたテレビに目をやると、様々な年齢、人種、国籍の人々が、肩を組み、歌い、踊り、泣き、笑っていた。東京五輪の閉会式だった。
「国境を超え、宗教を超えた美しい姿があります。このような美しい姿を見たことはありません。泣いています……笑っています」
 青年は出されたカツ丼に手もつけず、その光景にただ涙した。
 青年の名は喜納昌吉。名曲『花〜すべての人の心に花を〜』は、この時の涙が発酵してできたと語る。

 東京オリンピックが延期され、肩を組むどころか近接することさえ憚られる世が来ようとは。新型コロナウィルスの脅威が続いている。
 目に見えぬウィルスの感染拡大を防ぐ手立ては、感染源である人の接触と行き来を制限する他ない。だが人の流れが止まれば、物の流れも止まる。
 各国政府自治体が八方手を尽くし、経済の循環を保とうとしているが、どうしても救いきれない場所が出てきている。
 目に見えぬものが相手である故か、増長した不安につけ込む悪漢や、心ない言葉を無実の人に浴びせる人も出てきている。心の隙を金に変える輩も、強い言葉で臆病心を取り繕おうとする人も同情できないが、騙される前、言葉を吐く前にできることもたくさんあるはずだ。
 ウィルスが感染する仕組みや、移りづらい環境を学べば、それを避ける手も自然とわかる。ウィルスの潜伏期間、症例、対処法を学べば、不要な薬や治療法に頼ることもない。何よりこの禍患が去った後のことを考えれば、他人を疫病そのもののように見ている自身を咎めて当然ではなかろうか。

 流行長期化の覚悟を促す声もある。情報の流れだけが止まらない現代、誤解と猜疑の伝搬速度も恐ろしい。誰かの幸福や利得に文句を言いたくなったら、注意の入り口である。
 不安なら泣けばいい。良いことがあったら笑えばいい。あたりまえに過ごすことも、この難局を乗り越える手の一つである。
 人が流れぬこのうちは、花として世を眺めておればよい。
来年の今ごろ、肩を組み、歌い、踊り、泣き、笑っていられるように

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