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ヴァーチャル神保町勉強会18回目 言葉やモノの意味の変化を考える

今回は言葉やモノの意味が、状況や文脈、文化次第で変わってくるのではないか、ということをお話した回です。

もちろん、前回の課題映画会や、次回の課題本会とゆるやかに繋がるイメージです。


モノについて言えば、文脈依存がある典型的なモノの例として、マスクが挙がりました。

この状況になる前は、マスクは体調不良を表す文化コード、あるいはときによっては顔を見せたくないという文化コードであった。と考えられます。

ところが今は、マナーを守っていると明示するコード、すなわち何がマナーであるかを自分は把握しているよっていう「情報感度」を示すコードになっているようです。

逆に今、体調不良であることを示すことが難しくなってしまいましたね。以前より相対的には体調不良で休みやすくなった気もしますが、もちろん体調不良なら必ず休めるわけではないでしょうし。


話は文脈依存全体の話に戻りますが、柳田國男による主張で、風景によって民族が生まれる、というものがあるそうです。同じ山がどの角度から見えるかの違いで、土地ごとに異なる文化が生まれてきたことでしょう。

もちろん、季節の移り変わりの違いによっても文化は左右されるでしょう。日本でも中国発祥の二十四節気が使われますが、やはりそれぞれ少しずつ意味や想いの違いが有るのではないでしょうか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%9B%9B%E7%AF%80%E6%B0%97

輸入について言えば英語からの輸入にしても、例えば tough, challenge などは英語では、大変なことだ、という意味に使われがちだったりし、意味が違ってきますね。使われ方で文化が培われる、あるいは、文化が使われ方を左右する、という可能性が示唆されてきます。


日本語のなかの意味の変遷にしても、「全然」「ふつう」「かわいい」なんかはかなり興味深いです。

「全然は否定でしか使えない」っていうのも案外最近出てきた話で、実は肯定に使えたり使えなかったりを行ったり来たりしているようですね。

「普通に」も随分不思議な言い回しです。私達は '普通に' 使っているので、意味を説明しろと言われると案外難しいものです。
少し熱を入れて議論した結果、「含みがない、他意がない、限定的条件がない」という意味ではないか、という見解に落ち着きました。

「普通にカワイイよね」というときは、皮肉な意味じゃなくて褒めてるんだよ、文字通りの意味だよ、ということを強調しているわけですね。
「私達は普通に使っている」というときもやはり、特別な断りなく、サラで、という意味に解せそうです。

なお、カワイイは8月10日にスピンオフして、カワイイを考える会を予定しています。


最後は、作品についてのお話です。鑑賞者にどれくらいコンテクストを求めるのか。これは作品の時期や形態によってだいぶ変わってくるでしょう。

典型的なのは J-POP で、時期による違いが出てきます。
90年代は実はかなり鑑賞者任せだったようです。つまり、短文詩の羅列をしておくと、それが必ずしも物語でなくても、リスナーが自分の物語を重ねることで物語を見つけてくれるというのです。

対して最近では、曲に物語が封入されていることがまた多くなってきているようです (西野カナ、SEKAI NO OWARI など?)。

アートについて言えば、典型的なのは、ゴミに見えるものをアートと見る場合で、このときにはかなりコンテクストが要求されます。

シェイクスピアの文もしかりで、自分はあまり詳しくないのですが、「これは喜劇だ」「悲劇だ」と最初に教えてもらわないと、どっちなのか分からない場合もあるとのことです。


さて、モノやアートも、ある意味では言葉と似ていて、とりわけメッセージを伝える場合に、意味がけっこう文化や背景に依存している様子が見えてきました。

このモノはどういう意味を持つだろう、というのをあえてちょっと考えてみて、やりとりを楽しみたいところですね。

それでは、今回もありがとうございました。

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