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自信

いまわたしは20年以上頑張って作り上げてきた「心」がポロポロと剥がれてきてる状態だと思います。
乾燥した環境で保湿も何もできなかったので外部からの心無い言葉でポロポロと剥がれて血が出ています。

なんでこんなに脆い心になったんだろう。
ってそもそも考えてしまうことが自尊心の低さだと思います。
自分くらい自分の味方でなければと思うのに、こんな出来ない奴と思ったり、弱い心しか持ってないと思ったりしてしまいます。

そもそも自尊心とは?

自尊心。またの名を自信や自己肯定感、非認知能力(のうちの一つ)と言います。
非認知能力はいま教育業界で人気のワードで、非認知能力が育つことで学力が伸びるとも言われています。
非認知能力は別名「学びに向かう力」。学びに向かう意欲であったり、自信であったりと可視化できる学力と対極の位置にあります。非認知能力は名前の通り可視化することはできないのですが、これが育たないと学力も育たない。そんな力です。
自己肯定感も教育業界では話題に上がります。ありのままの自分を受け入れること。自分に自信をもってさまざまなことに取り組めるように自己肯定感を育てます。自己肯定感が育つことで「あれもやってみよう!」「やってみたらきっと成功するはずだ!」と考えられるようになります。逆に自己肯定感が低いと「どうせだめだ」「やったって無駄だ」という風に考えてしまうのです。
※素人意見ではあるので詳しく知りたい方はGoogle先生に聞いて調べてください。

では、わたしの過去の自尊心について振り返ってみたいと思います。

*幼少期
友達100人できるかなレベルで友達が多かった。悪く言えば八方美人。でも親友と呼べる子はいた。
*小学生前半
コミュ力おばけ。転校生にガンガン話しかけたり、小学校が合併したんだけどその新しい友達ともすぐ打ち解ける。
*小学生後半
小学生としても難しい時期。田舎に転校するが都会から来たため洗礼(いじめ)を受ける。最終的に担任が病んでしまう。次の学年ではなんとかやっていくが典型的ないじめがクラス内にあった。高学年では自分らしさを発揮できるようになり、積極的にいろいろなことに挑戦していた。例えば姉妹都市の学校へのビデオレターで英語で話す役に立候補したりとか…わりと自尊心はあった。この頃から体型がふくよかになり始め、家族からのプレッシャーが強くなる。
*中学生
受験が一番辛かった。でも集団クラスの塾で仲間と支え合いながら頑張る。学校自体は楽しかったと思う。受験に落ちて自尊心を失う。
*高校生
一人で努力しなければならないことを辛く感じる。特進クラスで仲の良い友達はどんどん指定校推薦で決まっていく。
*浪人生
劣等感と闘いながらがむしゃらに努力する。志望する大学にはいけない。
*大学生
自分が進学した先でできる最大限のことをしようと努力する。一人でも努力し続ける。
*就活
まわりが一般企業、教採に向かって頑張る中、自分だけ違う進路にむかって一人でがんばらなければならない。心が何度も折れるが試験には合格し、第一志望の進路へ
*就職後
夢を叶えて絶望する

※中学以降家族に痩せろ痩せろ言われ続ける。これは呪い。

ざっくりこんな感じかしら。
とりあえず人生の中で付き纏い続けたワードが二つあります。
一つ目は受験。うちの親戚が学歴至上主義だったのでプレッシャーでもあった。就職先も一応いいところだったので自慢してたらしい。わたしはそんなの望んでいない。受験で良い学校に入ることが幸せだと洗脳されて生きてきた。
二つ目は体型。開き直れば良いんだって最近は思ってる。earthとかアクシーズとかでゴムが入っててかわいいスカートとか大きめのトップスとかも売ってるので、開き直って好きな服着ればいいやんとは思ってる。体型について批判され続け、呪いを受けたと言える。

まず受験について。
わたしも親類もおかしかったと言いたいです。学歴や受験なんて就職してそこまで役に立つもんじゃなかったので、受験に命かけていた自分は10代を無駄に過ごしたなと思います。ほんとに勉強ばかりしていた(癖に学力は伸びない)ので、友達に「志望校が恋人」(部活が恋人のノリで)と言ったらドン引きされ、志望校マウントを(洗脳されてたので)とったら「その考え方おかしい」と言われ、自分や親戚達の異常さを感じました。学歴マウントなんてクソだと思います。才能があったり、いろんな発見をしてるすごい人がいろんなところにいるのに学歴だけで判断するのはおかしいと思う。そう思えるようになってきました。

次に体型について。ほんとにこれは呪いだ。経験を積んできて、呪いが溶けてきてはいる。ふくよかだって彼氏はできる。友達もできる。だんだんとそう思えるようにはなってきたけど、一時は「太ってるから友達居なくなる」「陰で悪口言われる」と思ってたし「この人は何でこんなクソみたいなわたしと一緒にいるんだろう。裏があるに違いない。」と本気で思っていた。今考えると友達にも失礼すぎる。太っててわたしには何もないから勉強とか資格とか兎に角努力しないと誰にも認められないと思ってた。あとツイッターで取引をするときにも「わたしがこんな見た目だから手渡しの取引はドタキャンされるかもしれない」と本気で思ってた。そんなことされたことないのに。ほんとにこの呪いをかけた家族は責任を取ってほしいし、自分が長年痩せてたから何も考えずにこの呪いをわたしにかけ続けたんだと思う。この呪いの効果がどんなもんかも知らないくせに。いいよね、自分の自尊心じゃないもんね。

ここまでが壮大な前振りです。

この度わたしの心が剥がれてハゲハゲになったのはこの自尊心の低さがベースにあるのですが、自尊心をさらに下げる職場環境に身を置くことになりました。実習で気がつければよかったんですけど、実習先に恵まれ夢を見てしまったので現実の辛さに耐えられませんでした。

でも、もしわたしに自尊心があれば。ポジティブに考えられる人間だったら。どんな環境でも対応できたし「なにくそ!」「見返してやる!」と思えたんじゃないかなぁ。批判を真に受けて「自分は存在してる価値がないんだ」「みんなわたしのことを嫌っているんだ」「ここにいないほうがいいんだ」と本気で思ってしまうので、子育てしてる方は自己肯定感が育つような育て方してください。

主題になかなか戻すことができませんでした……。こんなわたしが救われた言葉は「頑張ってるよ。えらいよ。」です。当たり前に言われてる人もいるかと思うのですが、本当に心が崩れそうなときに友達にSOSを出したら言われました。彼女にこれを言われなかったらわたし死んでたかもしれないです。自分なんてこの社会に必要ない、生きてちゃいけない人間なんだと思ってたと思います。本当にありがとう。

#君のことばに救われた

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