パースペクティブ (9)
もさもさ頭の男はこちらを向いたまま、カウンターに置かれた皿に箸を伸ばし、残っていた最後の餃子を挟むとゆっくりと口に入れた。わずかに生えた無精髭が咀嚼と共に上下に動き、だが男の目はじっとこちらを見つめて離れない。
「ABC理論について知っているか?」
男は餃子をもぐもぐやりながらこちらに問うてきたが、そのような理論は当然知らないので、ぼくは沈黙を決め込むのみである。
「出来事、受け取り方、そして結果からなる認知理論のことじゃないぞ、三つの力についての理論だ。知っているか?」
「知らない。そんなことより人に話しかけるならマスクを着けてくれないか」
「マスク? 何のことだ?」
「飛沫感染防止のマスクだよ」
「感染……そうか、だからみんなマスクをしているんだな。花粉症の季節には少し早いと思っていたんだ」
男は合点がいったようにうなずきながら、それでもぼくから視線を外さないので、少々気味が悪くなってぼくはまたレバニラと生ビールの至福の世界に戻りたいと思ったが、彼の眼差しには透明な狂気とでもいうべき爽やかな光が宿っていた。
「このチャンネルの世界にはニラレバ炒めという料理があり、未知の感染症が存在している、そういうことだね?」
「ニラレバ炒めじゃない、レバニラ炒めだ」
「多様な呼称がある料理だということはわかった。だが今重要なのはそんなことじゃない」
「何だ?」
「チャンネルが混線しているんだ。だからこうして僕たちは話をしているわけだ」
「混線? 何のことだ? どうでもいいからマスクを着けてくれないか」
「わかった」
男は素直にフーディーのポケットから白い不織布マスクを取り出すと一旦着けたが、すぐに顎まで下ろした。
「すまない、これがあると餃子が食べられない」
「食べるか話すか、どちらかにすればよかろう」
「そこなんだよ」
男は大きくうなずくと箸を置き、マスクを引っ張り上げた。
「食べるか、話すか、ABC理論でいうと、これは強い力と弱い力ということなんだけど、我々の宇宙にはどちらでもない力が存在していて、その働きによってチャンネルが切り替わるんだ」
「チャンネルって何だ?」
「きみはチャンネルも知らないのか? テレビのリモコンがあるだろう、黒いプラスチックのバーに無数のボタンがついているあれ、任意のボタンを押すと切り替わる、それがチャンネルだ」
「そんなことは知っている」
「歩き始めたばかりの幼児がいるとする、幼児はあたりを徘徊し、手当たり次第に物を引っ掴む、偶然そこにテレビのリモコンがあったとする、そしたらどうなる?」
「まあ、リモコンを手に取るでしょうな」
「手に取るとも。そしてやたらめったらにボタンを押しまくる。幼児の好奇心と集中力が強ければ強いほど、ボタンは無慈悲に押されまくることになる。つまり、そういうことさ」
「すまないが、まったくわからない」
「わからんか、幼児というのは、どちらでもない力のことさ。どちらでもない力はめちゃくちゃにボタンを押す、そうするとチャンネルが次々と移り変わる、あんまり無茶をするものだから、遂にはチャンネルが混線するんだ。薄くスライスされたサラミは基本的に隣のサラミと溶け合ったりはしない、だがチャンネルは隣のチャンネルと容易に混じり合う。それが問題なんだけど、だが悪いことばかりってわけでもない、そうやってチャンネル同士が混ざり合うことで、この世界全体が維持されているんだからね」
話している間も男は片時もこちらから視線を外さず、負けじとぼくも彼を見つめ返す、そうやってぼくと男とが視殺戦を繰り広げている真っ只中に、失礼しまーす、天津飯と玉子スープお待たせしましたーと店員が突如割り込み、ぼくの前に出来立ての天津飯と小さな椀に入ったスープを置くや否や、ご注文の品はお揃いでしょうかーと問いかけるものだから、さすがに無視するのも非礼なので店員に眼差しを投げかけ、ありがとうございます、と礼を言って店員が立ち去るのを見送ったが、その間も男は始終こちらを見つめていたのだった。
大変興味深い説だ、だが私はここで失礼させてもらうよ、天津飯が来たのでね、と体良く話を打ち切ろうと思ったのだが、男はこちらが口を開く前に、食べながら聞いてくれ、と話を続けるので、ぼくは天津飯に白いレンゲを突っ込みながら彼との会話を続行せざるを得なくなってしまった。
「いいかい、重要なのは、混じり合うってことだ。重なり合うといっても間違いではないが、それだと同じものが二つ同時に存在するような誤解を与えるだろう? そうじゃないんだよ、チャンネルが切り替わっても一つは一つだ。二つに増えたりはしない」
「つまり並行宇宙とか別の世界線だとか、あなたはそういうことを言ってるんですか?」
「違う。まったく違う。タイムパラドクスや多次元宇宙なんかの概念とチャンネルはまったく別のものだ。フィッシュ・オア・チキンくらい違う。ABC理論は現在証明されている理論の中では最も包括的かつ統合的な宇宙理論なんだ」
「でもそんな理論聞いたこともないな」
「きみはABC理論を遠い学術世界でのみ語られる高度な抽象理論だと思っているのだろうが、そんなことはないよ。エネルギー第三法則と同じくらい、我々の生活に密着したものだ。それに、チャンネルの混線は現にこうして目の前で起こっているじゃないか」
醤油をベースにして生姜の風味の効いた甘いタレとともに天津飯を頬張ると、思わず涙が出そうになるくらいの郷愁を覚えた。口の中に漂う鉄鍋の焦げたような匂いとともに食す天津飯、一年ぶりに食べるこの味、食が記憶と深く結びついているのは、それがただ空腹を満たすために栄養を摂取するという行為を超えた、一つの全的な体験だからだ。味も、食べた場所も、一緒に食べた人も、その時の自分の体調や気持ちも、食べている時に起きた出来事も、それら全てが食べるという行為の一部だ。そう考えると、一年に及ぶステイホームの後にこうして食べる天津飯の味を今後思い出すたびに、正体不明の語り部との会話が一握のスパイスとして記憶に加わるであろうことは想像に難くなかった。
「きみは内心訝しんでいるだろう? どうしてこの男は自分に話しかけているのか、なぜこの男は目の前にいるのか。きみはこれを単なる偶然と考えている、僥倖かもしれないし、たまたま引いてしまったアンラッキーなカードかもしれない、そう考えている。だが違うんだ、僕がきみの目の前に現れたのは、僕から言えばきみが僕の前に現れたのだが、これは互いのチャンネルが相互に干渉し混ざったからなんだよ。僕の存在しているチャンネルにはきみはいないし、きみのいるチャンネルには僕は存在していない。どちらかの力が強くて相手を引き寄せたわけではない、それは強い力と弱い力の作用だが、どちらの力もチャンネルを混ぜることはできないんだ、ただどちらでもない力だけがそれを可能にする」
そこまで言って男はマスクを引き下ろし、ぼくをじっと見たまま箸を掴んで皿に伸ばすと、何もない皿から餃子を挟んで口に入れた。彼はさっき最後の餃子を食べたはずだ、なのに今目の前で男は口をもぐもぐとさせている。これは一体どういうことか。白い皿の上にはわずかに油が滲んでいて、かつて餃子が置かれていた痕跡が見受けられる、だが今は何もない、あるとすれば男の口の中だ。果たして皿の上に餃子はあったのか、なかったのか、それともどちらでもないのか。
突如として現れた謎に頭を悩ませながら、ぼくはレンゲを玉子スープの椀に突っ込み、その塩っ辛いような甘いような液体を口に運んだが、どうにも飲みにくい。しかも天津飯を食べた直後のレンゲには天津飯のタレが付着しており、玉子スープ本来の繊細な味が損なわれてしまう。これではただのとろみのついた薄い中華スープだ。味が混ざり合ってしまうと、奇怪珍妙な味になってしまう、そう思った刹那、ぼくはハッとして顔を上げた。天津飯のタレと玉子スープ、強い力も弱い力もチャンネルを混ぜ合わせることはできない、ただどちらでもない力だけがそれを可能にする、リモコンのボタンを押しまくる幼児。
一瞬意識が何かに触れた気がしたのだが、それが何なのか判然としないまま、ぼくはレンゲで天津飯をすくい取って食べた。たしかに天津飯の味がする。それから口の中でよくレンゲを舐り回してから、再び玉子スープをすくって飲む。やや薄くはあるが、期待どおりの中華風玉子スープである。中華料理屋ではスープがちょいと飲めるとありがたいものだ。玉子スープかコーンスープか、酸辣湯、このいずれかがあると嬉しい。食事の前に少量飲むスープは胃を和らげ、食欲を増進する、出張で世界中を飛び回っていた仕事の先輩は、行った先でよく中華料理屋に足を運んだという。理由は北極と南極を除き、世界の大抵の街には中華料理屋があるからだというのが一つ、そして酸辣湯を飲むと時差ぼけや旅の疲労等で何も食べたくない時にも食欲が湧いてくるから、というのがもう一つの理由だそうだ。それを聞いて以来、食欲増進には酸辣湯、と深く心に刻んでいるのだが、今日はむしろ食欲旺盛、久しぶりの外食に心躍っているくらいだから、玉子スープにしたのであった。
そうして天津飯を食べつつ時々レバニラ炒めの残りに箸を伸ばし、玉子スープと生ビールで喉を潤しながらまた天津飯を食べていると、突然男が立ち上がり、伝票を引っ掴むと出口へと歩いていった。出口の横に設られた会計カウンターで男が伝票を出すと、餃子一枚、二百六十四円になりまーすと店員が大きな声を張り上げ、男はフーディーのポケットから財布を取り出すと、時間をかけて硬貨を取り出し、きっちり二百六十四円をカルトンに置き、毎度ありーっの声を背に受けて、こちらを振り返ることなく店の外へ出ていった。
西部の町酒場を出ていくガンマンのような男の背中を見送った後、ぼくは天津飯を食べながら彼の語ったABC理論について思いを巡らせた。何のことかさっぱりわからないし、実在する宇宙理論なのかどうかもわからない、しかしあの男の口調には真実の響きがあった、たとえ世界の誰も耳を傾けてくれなくても、自分は真理を語る責務がある、そう固く心に誓った目をしていた。彼の言を借りるならば、ぼくとあの男が中華料理屋で邂逅したのは、互いのチャンネルが相互に干渉し混ざり合ったからだ。もしかしたら、あらゆる人との出会いは、チャンネルの相互干渉によるものなのかもしれない、だとすれば、あの占い師も、花屋の店員も、ひょっとすると別れた彼女やその愛猫まで、それらの出会いは全てどちらでもない力によるものではなかったか。
宇宙規模の真理に触れた気がして、ぼくは呆然としたまま天津飯とレバニラ炒めを平げた。玉子スープを椀ごと飲み干し、最後にジョッキに残ったビールを空にすると、卓上に配置されている紙ナプキンを一枚取り出し、よく口の周りを拭った。ごちそうさまでした、この美しい言葉を一人静かに口にし、ぼくは伝票を取り上げ、足元の植木鉢を持って、今、ゆっくりと立ち上がる。そうだ、ぼくには帰る場所がある。
(つづく)
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