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美しい贈り物

一人だったので、久しぶりに夜の街を散歩しようと思い、軽くジャケットを羽織って外に出た。10月に入って、夜はすこし肌寒くなっていた。

外は静かだった。商店街は大半が店じまいしていたが、遅くまでやっている飲食店のオレンジ色の光が夜道を照らしていた。振り返ると、カウンターに座って談笑している男女の姿がガラス越しに見えた。

駅の方から歩いてくる人と何人かすれちがった。酔った足取りの人や、ホッとしたような顔をしてスマートフォンをのぞいている人がいた。

遠くで首都高を走る車の低いエンジン音が聞こえた。

夜の空気はひんやりと湿っていて、海のなかを歩いているような気分だった。繁華街に繰り出す気分でもなかったので、ぼくはそのまま夜のなかを歩いていった。

こうして歩くのは久しぶりのように思えた。街灯の下を一つくぐるごとに、ぼくは少しずつ解放感に包まれていった。自分が自由だと感じた。街灯の白い光も、マンションの窓からにじむあたたかい光も、走り去る車の赤いテールランプも、すべてがきらきらと輝いて見えた。

ぼくは歩きながら深呼吸を何度か繰り返し、肺の中まで夜を吸い込んだ。

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バーやビストロの前をいくつか通り過ぎながら、どこの店に入ろうかと歩いているうちに、一軒の本屋を見つけた。四角く切り取られたガラスの向こう側で、本棚に並べられている書籍を見つめる人たちの姿が見えた。

店内に入ると、雑誌から文芸、思想系やマンガまで、さまざまな本が置いてあって、若い客たちが何人か、気になる本のページをパラパラとめくっては次の棚に移ったり、その場で立ったまま本の内容に引き込まれたりしていた。

男女のカップルが隣り合って立ったまま、女性は文学を、男性はビジネス書を読んでいた。二人ともこざっぱりとしておしゃれな格好をしていて、時々思い出したように隣の相手に小声で話しかけたり、視線を交わしたりしていた。

ぼくは棚に並べられた本を眺めながら、店内をゆっくり歩いた。思想系の棚の前にきたとき、見覚えのある白い表紙を見つけて、ぼくは思わず立ち止まった。

棚から引き抜いて見ると、アランの『定義集』だった。

ページを開くと、そこにはこう書いてあった。

心情
これは優しさと勇気との座であり、また第一に力と生命を頒つ器官である。したがって心情はごく僅かの異和をも強く感ずる。心情をもつ人は、それゆえに、他の人々、あるいは一人の他の人の苦しみと喜びとに参与することができる。これは愛の徴しの一つである。同時に、心情をもつ人は、他の人々、あるいは一人の他の人のに、彼が自分の力でできるすべてのこと、すなわち保護したり助けたり、また根本的に勇気づけたりするようなことを伝えようとする傾向を持っている。何となれば、これ以上美しい贈り物はないからである。この二つの意味は、愛というものを説明する。事実、愛というものは単に優しさだけで(あるいは単に弱さだけで)成立つものではなく、常にはっきりとして揺るがない一つの信仰、言い換えれば幸福な誓いによってしか十分に表現されない、自由で変化しない何ものかを含むものである。この意味で、愛するためには第一に勇気が必要である。感傷だけではとかく裏切ることになるだろう。

ぼくはしばらくじっとしたまま、この本を初めて知ったときのことを思い出した。アランが定義した言葉のなかから、特に気に入った言葉のいくつかをその人はぼくに教えてくれたのだった。

当時のことをぼくは次々と思い出していった。だが過ぎ去った思い出を反芻するようなノスタルジーはなかった。何も終わっていないし、何も消えて無くなってはいなかった。

合致
合致は時の経過によって検証され、将来に対しても信頼を与える一致である。合致は一致のように、自然発生的なものであって、理屈を超えている。

そうだった。ぼくは目が覚めるような思いがした。理屈の世界に少々長くとどまり過ぎたのかもしれない。経験で予測できること、知識で類推できることに慣れすぎて、理屈を超えてやってくる存在のことをいつの間にか忘れていた気がした。

ぼくは本を本棚に戻すと、書店を出た。振り返ると、人々はまだ熱心に本を読んでいた。

歩き出す前に、ぼくは夜空を見上げた。街が明るくて何も見えないかもしれないと思ったが、銀色の星が空高くに見えた。

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