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「いくつになっても何かを始められる」を体現したい

何を始めるにしても、スタートは早いほうがいいというのはよく言われることであり、確かにその通りなのかもしれない。

勉学にしても、スポーツにしても、若い頃から努力を重ねているほうが、若いうちから結果が出やすいし、その後の人生も有利に進むということはよく見聞きするし、年齢を重ねてから何かをしようとしても、老化という壁が立ち塞がる。

では、ある程度年齢を重ねてからスタートをきるということは、何も結果を産むことはできないのだろうか。

私は、必ずしもそうではないと考えている。

もちろん、若い頃のように身体が動くわけではないし、なにかを学ぼうとしてもどうしても覚えるのに時間がかかってしまい、効率は低下するのは常日頃から実感している。

でも、諦めたくはない。

何かに対して若者には負けないと思える情熱があるというのなら、人の一生という時間の尺度で早期のスタートをきるというのではなく、残された自分の人生のうちの、なるべく早期からスタートをきればいい。

つまり今が人生で一番若いということ。その利点を活かして、いますぐ行動に移すのだ。

私が理学療法士になって20年。残りもおよそ20年ある。若者が10年で結果を出すというのなら、私は20年かけて何かしらの結果を得られればいい。

研究でも臨床でも教育でも、何もせずにくすぶっているぐらいなら、何かを始めたほうがいい。

たった一つでも有意義な結果を残すことができれば、それでいいじゃないか。

若くして情熱を燃やし、論文を10も20も世に出すことは素晴らしい。

一方で、今の私が理学療法士としての人生を終えるまでに、1つか2つしか論文が書けなくっても、その論文で救われる未来があるのなら、取り組む価値はあるんじゃないかと考えている。

年齢や時間のなさを言い訳にして何もしないのはもったいない。

周囲の理解があり、取り組める環境にいるというのなら、是非とも取り組んでみたいと思っている。

そして私は、それを体現して後に続く人たちに結果を示したい。

あの人ができたんだから、私にもできるかもしれない。そう思ってもらえるような前例を残したい。

多分、情熱を持って仕事に取り組んでいるけど新たなステージに進むのに躊躇している人はたくさんいるんじゃないかと思う。

そういった人たちの情熱を現実のものとすることができたらどうだろう。

これからの若い世代の後輩たちにだけ期待を寄せて、自分は何もしないというのでは、人はついてこないように思う。

まずは自分が背中を見せないと、憧れてはくれないんじゃないか。

常に変化を求めて、いくつになっても進化を止めない。まずは気持ちだけでもいいけど、できるなら形に残るように。

新しいアクションを起こし続けていたいのだ。

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