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病院で婆ちゃんに話しかけられた話 230209

 やっと感染症も落ち着いてきましたが、予約してても病院はやたら人が多く、長ーく待たされる。

「さいとうさーん」
「はい」
血液検査されて、待たされ、、
「さいとうさーん」
「はい」
MRI等々……。

やっとのことで診察終わっても今度は会計で長ーく待たされる。どうやら事務窓口がパンクしてるような雰囲気。

やれやれ…の顔で座っていると、足を悪くされてる婆ちゃんが杖を手に横に座られた。

いきなり話しかけられる。
「わたしゃあね、もう91なんよ。。内臓は悪くないんやけどね、足を悪ーしてね…。むかしゃーね、大変やったよ」
婆ちゃんの昔話が始まった。

「わたしゃあね、91なんよ。むかしゃーね、食いもんもないからの、茶わん一杯のご飯にたくわん2切れよ。。わたしゃあね、91なんよ」

長くなりそうなので説明するが、若い頃、婆ちゃんは少し田舎に住んでおられて、父親の知り合いをつてにこの街へ出てこられたそうだ。

「わたしゃあね、あの(地方で有名な)百貨店つくった社長に頼んでの、ビル建てたんじゃ。1000万貸してもろうての。今の1000万じゃないで、そん時の1000万じゃ」

えー!戦後の1000万である。今の価値で言うならいくら?。その20倍?いや30倍?。えーっ、3億かいな?いくら知り合いの娘だったかもしれないが、懐のデカい社長やな。と驚いてはみたが、戦後は金も土地もぐちゃぐちゃだったろう。

「むかしゃあの、学生もみな働かされての、わたしゃあの、高等小学校やったからの、2年やったか4年通っての…」

そう、この婆ちゃんたちのように戦前と戦後をまたぐ時代の方々は、まともに学校行ってる方々は少ないのである。高等小学校(今の中学)へ通うのも婆ちゃんのまわりでは半分くらいしかいなかったらしい。
田舎に暮らしていた婆ちゃんは戦後の田舎じゃダメだーと街に出てきたのだ。
だって街と田舎を歩いて買い物に出ていたらしいのだ。
婆ちゃんは往復30kmも歩いていたのだ!
えーっ!

そして婆ちゃんは社長に1000万借りてビルを建て、喫茶店を経営したようだ。

「1000万やで、1000万。今の金じゃないで。ほんで喫茶店作っての、働いたんじゃ。その頃まわりは工場での、みんな早うから働いとるからの、あたしも早うから店開けての8時からやっとったんじゃ。1番の電車乗って通うて、帰りは最終よ」

婆ちゃんは働き者だったのだ。

「店はいつも満員よ。70席くらいあるんじゃがの。店はの、ここからちょっと行ったとこにあったんよ。そこに、この先生のお父さんがおっての、儲からん医者やったが、ええ先生やったで」

なるほど、婆ちゃん、ここの院長先生の父親とも知り合いだったのだ。
だから、私が診察に来る度に婆ちゃんはいる。来るたび毎日いたことに合点👌

また婆ちゃんの話は続く。
「この前、院長先生が『癌も治る薬が出来ました』と言うとったで、えーか、人に言うたらあかんで」


婆ちゃんとても喜んで話してくれた。
「わたしゃあね91なんよ、足は悪いんじゃが、内臓は元気なんよ。癌なんかなったこともない。えーか、人に言うたらあかんで」

そこへ看護師さんが来た。
「○○さん、マ、ス、ク、してください、ね」
「あー、そうじゃったの」

「さいとうさーん」
「はい!?」
いきなり受付の方に呼ばれて一時保存するつもりで公開を押してしまった。

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