傷病手当て 210518

大学病院に検査入院し診断結果出る前から仕事は休んだが…、

「傷病手当て」での生活が、1年6ヶ月続くとは思わなかった。

貰えるから文句など言えないし、払っていたので貰うのも当たり前。だが、給与6割の傷病手当てから、税金や社会保険料など引かれると実際の収入は半分以下。

厳しかった。

身体も心も家族も友も失われ、仕事仲間も失われ、収入も半分奪われた感じで、虚脱感はしばらく続いた。運転も禁止だったので、通院以外は外出せずにリハビリ。外に出るのは足のふらつく散歩のみ。

失われたものは、あまりにも多かった。

いや、多さよりも突然だったことの方がショックを大きくしたかもしれない。

昨日出来てたことが今日出来ない。

これが、ずっと?

やたら歳とるスピード加速。


ある日、

弾くと発作が起きるので、ずっとケースの中に入れたままのギターがある。部屋の隅に立てていた。
もうええやろと、弾いてみると、音は当然合っていないし、弦は伸びて調弦も出来ない。
けど…、切れてなかった。

音は変で弾いていても、気分は悪くならない感じがした。少しずつ時間を増やしてみよう。


指先は痛く広がらない。セーハする握力もない。右手が絡まる…、絡まる?
信じられず、強く強く弾くと爪が、
割れた…。

ショックで、余計に悔しさが増えた。

自分の指をねじり折りそうになった。

悔しい。あまりに悔しい。

それから毎日毎日、

一日中握力つけるために左手に何か持っていた。2リッターのペットボトルに水を入れ持ち揺らしながら歩いたり。溢れると危ないのでダンベル買ったり。

爪を磨いては割れ、磨いては割れた。
上手く弾けないことは全て爪のせいにした。
上手く弾けないことが許せなかった。

こんなことを毎日やっていた。
出来なくなった変化に対応できない。

そうして繰り返し半年後。毎日感じてた“不安感”が、やっと減ってきている。

「うん?発作の不安感が今日はなかった」と思い喜んでも、次の日また普通に不安を感じる。

しばらく「あれ?今日はない?」

「いや、あった」

不安の有り無しを繰り返すことはまるで、
土を掘っては埋め戻す、意味のない強制労働のようで、

虚しさと悔しさだけが残った。

そんなバカな!
そんな長い虚しい行ったり来たりを繰り返してた後に、
「あれ?昨日も今日も不安がない?」

ほんの少しずつ、少しずつ“不安”の無い日が増えてくる。
薬を処方される以前の毎日の不安感と比べれば、一日ないだけでもすごく嬉しいのだ。まして連続して不安がないのが続くと、なおさら嬉しさが増す。

あの、剥がしても貼り付き拭ってもまとわりつく、「不安感」と発作の「前兆」が、薬のおかげで抑え込まれている。そう思うと、崩れたトンネルの先に小さな光が見える映画のような気持ちになった。

まだ上手く歩けないのに、「不安感」がない嬉しさが湧いてくる。

しかし、出口に光りが見えるはずのない妻には私の喜びをどうしても理解出来なかったのだろう。
当然かもしれない。
突如、夫が休職し、寝ているばかりだ。この先どうなるのかわからない。息子も大学行くつもりだが、全く勉強してない。金はどうする。
不安だらけだっただろう。

ため息の増える妻は、これからの生活を「どうするのか? どうしていけばいいのか?」と毎日考えて続けている。

なのに、

「喜んでいる夫はいったい何なの?」

何か別の不安を抱えていた。

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