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コミュニケーションと日記(2023/8/2)


 中学時代の日記を読み返していた。


 まさに「俺、中学生だけど正直感情がなくて全てが滑稽に思える」状態だったらしい。

 これを書いた当時の私は自己愛と承認欲求の塊だった。
(学校内では)ちょっと成績が良かったこともあって、自分を特別な存在だと思い込んでいた。変に自尊心だけが高かった。
誰も意見を聞いてくれない、誰も自分を認めてくれないことが不満だった。他人の評価に執着して一喜一憂していた。
決して「感情がない」とは言い難い。むしろ、今よりも「感情豊か」と言えるかもしれない。

 他人の気持ちを汲み取ることができない自分を、「感情を失ってしまった悲劇のヒロイン」と思い込んで正当化していたのだろうか。(たしかこの頃はプロセカに夢中だった。明らかに朝比奈まふゆの影響を受けすぎている。)

 今は、当時のように「空気を読むなんて非論理的で意味の無い行為だ」とは思わないのだが、
空気を読む、察する能力は全くその時点から成長していない。どうしても会話に割り込んでしまうし、自分の意見を言い切るまでマシンガントークをやめられない。どこまでも自己中心的。


 この前、偶然「コミュ障を改善するには、日記を書くのが効果的!」という記事(ツイートだったかもしれない)を見つけた。そこで、久しぶりに日記を書いてもいいかもしれない、と考えた。そこで、中学時代に書いていた日記を読み返したのだ。結局、今も昔も、本質的には同じような悩みを抱えている。

 自分の考えをひとつひとつ文章化して整理することは、結構頭の中がすっきりして気持ちが良い。とにかく自分の考えを発信したい!聞いてほしい!という欲求も満たされる。
 自分自身を見つめ直すため、自己理解のためにも、日記をちゃんと再開するのも良いかもしれないなと思った。

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