見出し画像

イギリス帝国とカントリー・ハウス⑴

タイトルまんまです。
「カントリー・ハウスってイギリス帝国の何なの?」的な内容をつらつらと書き連ねていきます。
大学の講義をベースにした私的な備忘録なので、読みづらいかもしれません。
あと、間違ってたらすみません。


カントリー・ハウスとは、システムである

そもそもこれが分からない。何だ、カントリー・ハウスって。
辞書的な定義をいえば、「田舎の所領にある貴族やジェントリの本邸」という風になるんだけど、そんなググれば3秒で出てくるようなことが知りたいんじゃないんだよな。

実のところ、カントリー・ハウスは、単なる邸宅や不動産ではなく、一つのシステムとして捉えることができるらしい。
…「一つのシステム」? まあ、これを理解するためには、カントリー・ハウスの歴史を辿るのが手っ取り早いかもしれない。

元々、カントリー・ハウスは中世の荘園領主の邸宅であったマナー・ハウスに由来する。
そしてそのマナー・ハウスは、土地所有と地代収入に裏打ちされた権力の象徴であり、支配階級が地方政治を指図する場でもあった。

そもそもカントリー・ハウスは、その起こりからいって、階級制度に基づく支配階級の存在や土地所有など(すなわち社会的なシステム)と密接に関連しているというわけだ……面白いね!!!

さて、少し時間を進めよう。
こうして生まれたカントリー・ハウスが繁栄していくのは、中世から更に時代が下った、18世紀のことである。

では、18世紀とはイギリスにとってどんな時代だったのか?
ざっくりいえば、繁栄の時代である。

スペイン継承戦争を経て、18〜19世紀に起こったフランスとの植民地争いにも勝利したイギリスは、ここに至り、覇権国家として繁栄の時代を迎えることとなる。

また、同時期のイギリスでは、土地ではなく産業や金融、証券に基礎をおく新興階級も存在感を高め始める。
彼らの中には、新たに土地を購入してカントリー・ハウスを所有し、ジェントリに仲間入りしていく者もいた。

…え? なんでジェントリになるために、わざわざ土地を買うのかって?
その理由は先にも少し述べてある。

「マナー・ハウスは、土地所有と地代収入に裏打ちされた権力の象徴であり、支配階級が地方政治を指図する場でもあった」

このように、イギリスにおける「権力」とは元来、土地所有に基づいたものなのである。
広大な荘園とそこからの地代収入を生活基盤とし、商業や金融といった「賤しき労働」によって身を立てることがない。

上流階級は労働を厭う。それこそ、地代収入が得られなくなってきているにもかかわらず、なお働こうとしなかったくらいには(ここについてはまたいずれ)。
イギリスにおける「上流階級」の条件は、労働と手を切っていることであった。

そのため、上流階級の仲間入りをしたいと望む新興階級は、土地とカントリー・ハウスを購入して、自らの生業に別れを告げなければならなかったのだ。

この点、広大な土地に多数の使用人を抱え込むカントリー・ハウスはまさしく権力の象徴、支配階級たらんとする者の必需品であったといえる。

それはイギリスにおいて、階級制度というシステムの一翼を担う存在だったのだ。

イギリス帝国とカントリー・ハウスのパターナリズム

次に、こうした「階級制度」の中で働く、パターナリズム(父権的温情主義)について考えていこう。

パターナリズム。これも大概、聞き馴染みのない語だと思う。
情報・知識 imidasによると、「他者の利益を名目に他者の行動に強制的に干渉しようとする考え方」を指すらしいが、これだけでは正直なんのこっちゃである。

しかし実のところ、パターナリズムは、少しでも歴史を勉強した人にとっては、わりあい馴染みのある概念といえるだろう。

世界史の資料集の帝国主義の章とかで見たことはないだろうか? 「未開の蛮族を啓蒙する文明人」的な図像。あれ。あれがパターナリズムである。
ああいった絵からも、パターナリズムは帝国主義との関連性を持っていると分かる。

世界の流通を握った覇権国家イギリスという「強者」が、植民地や属領という「弱者」の利害のためという建前の元、植民地からの搾取を正当化する。
パターナリズムはまず、国際関係において働く帝国主義の論理として理解することができそうだ(帝国主義についてはまたいずれ)。

しかし、それだけではない。
パターナリズムとは実のところ、帝国主義などといった歴史的な概念を超えたものでもあるのだ。

例えば、「教育」にもパターナリスティックな側面はある。
子どもたちのために決まったカリキュラムを組んで教育を施すのは、まさにパターナリスティックなやり方の代表例といって良いだろう。

ただ、ここで言いたいのは「パターナリズムは悪だ」ということではない。
そうではなく、「パターナリズムは良くも悪くも、人間社会に広く溶け込んだ観念である」ということが言いたいのだ。

それは当然、18世紀のイギリスも例外ではなかった。
帝国としてのイギリスは勿論のこと、国民国家としてのイギリス(ブリテン島の中にある、あのジメジメした気候の国!)の中にもパターナリズムは見られる。
とりわけそれが顕著な形で現れてくるのが、カントリー・ハウスなのだ。

カントリー・ハウスの内部では、家父長から使用人を含む家族全員に対して、パターナリスティックな行動がなされていた。

例えば、カントリー・ハウスの使用人は雇い主一家の監視と支配下に置かれており、自由がほとんどなかったという。
そこには、使用人を敬虔で道徳的な人間にするための束縛が、その暴力性にもかかわらず、使用人自身のためになるという意識があった。

また、当時の「女性の理想的な暇潰し(pastimes)」にも、いくらかパターナリスティックな性格が見られる。
例えば、当時の代表的な暇潰しであった読書において、ヴィクトリア朝時代には、女性を教化するための道徳的教訓話の復活が見られたという。

このように、パターナリズムはイギリス国内のカントリー・ハウスの中で、女性や使用人といった「弱者」の保護・教化を謳うロジックとしても働いていたのだ。
この点で、パターナリズムを家族という小単位において働く家父長制の論理として捉えることもできる。

⑴イギリス帝国から、植民地や属領へ
⑵カントリー・ハウスを所有するような上流階級から、使用人になるような労働者階級へ
⑶家父長から、家族の他のメンバーへ

このように、パターナリズムは複数のレイヤーにおいて働いている。
そして、カントリー・ハウスはこれらのレイヤーを上手く切り取ってみせたサンプルでもあるのだ。

⑵と⑶については今しがた概観した通りである。⑴に関しては、次回以降、カントリー・ハウスの文化について見る際に考えようと思う。
予告しておくと、カントリー・ハウスの文化は、イギリス帝国の世界的な覇権と貿易ネットワークの掌握、植民地からの搾取によって成立しているものが多いという話になるだろう。

まあ、すごく大雑把な言い方をすると、カントリー・ハウスとは、イギリス帝国の帝国主義と植民地主義と搾取の縮図であるといえるわけだ。

思いの外長くなってしまったので、今回はここまでにする。
次回はイギリス帝国とカントリー・ハウスの文化、ナショナル・トラスト、カントリー・ハウスの衰退などについて見ていきたい。

それでは、また。

次回↓

参考文献

  • 川北稔『新板世界各国史11 イギリス史』(山川出版社、1998年)

  • 「カントリー・ハウス」『世界大百科事典』Japan Knowledge Lib

  • 「パターナリズム[哲学/現代思想]」『情報・知識 imidas』Japan Knowledge Lib

  • 平田雅博『イギリス帝国と世界システム』(晃洋書房、2000年)

  • マーク・ジルアード著、森静子・ヒューズ訳『英国のカントリー・ハウス〈上〉貴族の生活と建築の歴史』(星雲社、1989年)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?