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こちらの記事は、私のサイト"#a11yTips: Webアクセシビリティ・情報バリアフリー " で2017年4月5日に公開済のものを転載しました。
既に公開中のサイトの中身を捨ててnoteに移行計画を進めているため、過去記事の一部を移す作業をしています。
なお文末形式を整えるため一部修正しています。

一番最初にウェブアクセシビリティのJIS x 8341-3説明会に行ったのは確か2009年頃。

その3年前の今時分、「Web標準の教科書」や「Web制作と運営のための 写真撮影&ディレクション教本」の著者である、まっしーこと益子 貴寛さんにスクール(*)でがっつりタグを教わった時に"ウェブアクセシビリティというのがあってな"と聞いていたとは言うものの
「無料だし、勉強がてら行ってみるかぁ」
くらいの気持ちだった。ホントに偶々。

*このスクール、3か月の公共職業訓練だったのだけど講師陣には益子さん以外にも矢野りんさんがいらっしゃるという、なかなか豪華なものでした。請け負ったスクール側担当さんの、先生を選定に感謝しきり。

その後民間の、今は無きIT企業を経て某役所の中に職を得たのも偶々。

因みに役所への応募には、履歴書・経歴書というお定まりの書類一式と400字程度の当たり障りのない作文があったのだけど、小生意気にもその役所のウェブサイトのウェブアクセシビリティを含めた問題点とそれを達成するための提案をしてみたという一か八か、とんでもない応募者だった。が、心の広い上司のおかげでめでたく中の人となった。

その後、延々とウェブアクセシビリティに関わることになるのだから人生というのはわからんもんだ。

今だからそっと書く。
なぜ役所を応募しようかと思ったというと、外からじゃなくて中から何とかできないかね、直接。と思ったわけ。

仕組みづくりは大事。基準がないと技術に反映されない。
ただ私には向いてない。能力もないし、性格的に実際現場で動く方が向いてる。いつまでも1人のユーザーでありたい。

役所に提出するための過去の勤務先の在籍証明を貰うために再会した元上司K山氏。
思いっきり暴れてこい!
さすが元上司、よく判っておいでで。この餞の言葉が、その後ずっと私の心の拠り所となった。

某役所から離れて一年ちょっとが過ぎ(*これを書いた時点)、今年もそこの検証結果が出た。はっきり言って、私がやってた頃と進捗変わらない。中にいたときはこの数年で多少前進したかなと思ったけど、外から見ると牛歩の歩みなんだろうな。いや、何も変わっていないように見えるだろう。

確実に言えるのは、役所内のWebに関わる職員の意識はずいぶん変わってきたよ。ウェブアクセシビリティウェブアクセシビリティと念仏のように唱えていたせいか、通用するようになってきた。時に疎ましがられ、時に面倒がられてもそれは一過性のもの。

放送大学の春休みに、他所にひと月ばかり丁稚奉公に行ってみたけど、そこでも日々熱心に実直に取り組んでいた。

牛歩の歩みだろうと前に進んでいれば数年後には実感できる日が来ると思う。ウェブアクセシビリティおじさんたち*1も日々活躍しているしね。
私は私にできることをこれからもする。

(了)

*1 ウェブアクセシビリティに熱意を傾ける方々が自称してウェブアクセシビリティおじさんと言っておられるのです

ヘッダー写真 撮影地 ニュージーランド Wanaka ©moya

最後までご覧いただきありがとうございます! 現在放送大学でPDFのアクセシビリティを卒業研究中。noteはそのメモを兼ねてます。ヘッダー写真はnzで私が撮影しました。 【ご寄付のお願い】有料noteの売上やサポートはnzクライストチャーチ地震の復興支援に使わせて頂いております。