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自分の思う"マイノリティ"という位置づけは正しいのか_後編

おはようございます。moyaです。
6月になりました。こんな堅苦しい内容にも関わらず、たくさんのかたに見て頂けて嬉しいです。今月もよろしくお願いします。

前回「自分の思う"マイノリティ"という位置づけは正しいのか_中編」では、少数派の生活のしづらさをコミュニケーションを通じて解決できそうだと記した。
(第一回目である前編はこちら→ 自分の思う"マイノリティ"という位置づけは正しいのか_前編)

今日は自然界を生きている動物たちのマイノリティはどうしているのだろうというところから始めたい。取り上げるのは野生のサルのお話。

以前、視覚障害を理解するために色の見え方は"色々"というタイトルで色覚について触れた。

ナショナルジオグラフィックのWeb版「Webナショジオ」の記事、研究室に行ってみた。東京大学 色覚の進化 河村正二によると、様々な野生のサルの中にもヒトのような色覚多型がいる種があるそうだ。

クモザルの色覚には3色型と2色型がある。2色型色覚は赤と緑の色コントラストに弱い。緑の木々の中になっている赤い木の実を探してとるなら、正常色覚であり多数派の3色型が理論的に優位と考えがちだが、行動観察すると予想に反して、3色型と2色型に違いがまったくなかった。

さらには2色型のほうが良いという事例まで見つかった。
オマキザルは2色型のほうがエサの昆虫を捕まえるのが上手だった。特に薄暗いところ、例えば森の中で日が差さないような場所では2色型が有利で、なんと3倍近く効率が良かったのだそうだ。
昆虫たちは見つからないようにカモフラージュをして身を隠しているが、明るさのコントラストや形や形状の違いに敏感な2色型のほうが見つけるのが上手かったということだ。

第6回 「正常色覚」が本当に有利なのかで河村教授がインタビューに答えている言葉が興味深い。

「感覚について、これが優れているとか、優れていないとかいうのは、間違っていると思います。3色型は2色型より優れている、あるいはその逆とかいうのは、進化の視点から見たらかなり違う。常識で思っている優劣、とくにそれが遺伝子に根ざしているものには、多くの場合、別の理由があるんです。ここに至るまでにものすごく長い歴史があって、その中で培われてきたもので、そこで生き延びてきたことには意味がある。一見、不利なようなものが、実はそれがあったからヒトがいるのだと。ヒトの色覚多型は、その一例なんだと思います」

マイノリティは我が身の置き所で変わる

イギリスの作家で、SFの父と称されるハーバート・ジョージ・ウェルスの小説「盲人の国」では、主人公ヌネスがアルプス山脈のとある村に滑落事故を機に迷い込む短編だ。詳しいあらすじは省略する。
東京創元社の「ウェルズSF傑作集2 世界最終戦争の夢 」に掲載されている。文庫は今入手できないが、Kindle版で販売されていた。

H・G・ウェルスは図書館にも置かれていることが多いし、子供のころ読んだというかたもいらっしゃるだろう。

主人公ヌネスが迷い込んだその村は他の地域から隔絶された特異な場所。昔流行った疫病により、子孫である住人らは視覚障害がある。

外部から来たヌネスは、奇妙な町並みを見てそれと悟り
「盲人の国では片目の男が王となる」
という古い諺を思い出して、尊大にも己の優位性を確信する。目で物事をとらえられるのは、この地ではどうやら自分だけだと。しかし、そこで暮らすにつれヌネスは自分こそがマイノリティであることを周囲から突きつけられていく。

この諺は、スピルバーグ監督・トム・クルーズ主演の映画「マイノリティ・リポート」(日本では2002年に公開)のセリフでも登場する。

" My daddy always said in the land of the blind, the one eyed man is king."

日本語の格言では鳥無き里の蝙蝠がそれにあたる。デジタル大辞泉の解説によるとすぐれた者や強い者のいない所で、つまらない者がいばることのたとえ。だそうだ。

さてヌネスの考え方やとった行動を、私は愚かと非難できるだろうか。たまたま自分がいる場所において属しているグループがどちらかというだけで同じようなことをして来たのではないだろうか。

捕らわれている自分

「盲人の国」は小説だが、南太平洋・ミクロネシア諸島のピンゲラップ島には先天的に色の見えない住民が多く住んでいる。
ピンゲラップ島はイギリスの脳神経学者オリヴァー・サックスの著作「色のない島へ」の中で紹介された島だ。こちらは装丁はハードカバーとは変わったものの、今も文庫本やKindleで購入可能だ。

全色盲(1色覚)の遺伝子を持つ人は一般に3万人に1人とされているが、この島では島民の10%ほど12人に1人が、1色覚の遺伝子を持っていると考えられている。島には彼らを指す「マスクン」という言葉があり、調べると1色覚でまぶしさは苦手だが近視ではなく、自給自足の生活をしている。
(蛇足だが、この時に色の見え方は"色々"で取り上げた「石原式色覚検査表」を使用しているシーンが出てくる)

ただ島民には視覚の欠陥よりも「マスクン」に対しての誤った認識があり(進行する、他の病気を引き起こす)と恐れられていた。
ただし、本を読む限り1色覚型の人々は他の住民から良くも悪くも特別扱いをされている節は感じられない。

この本の中で印象深い言葉がある。1色覚型の人が熟しているバナナをどう見分けているかオリヴァーたちに尋ねられた時のことだ。

私たちは色だけで判断するわけではないのです。目で見て、触って、匂いを嗅いで、それで分かるのです。全感覚を使って考えるんです。
あなたたちは色でしか判断しませんけど。

"あなたたち"に属する私は、何かにとらわれ過ぎていたのではないだろうか。

最後に : ウェブアクセシビリティは特別ではない

ここまでマイノリティについて考えてきたのだけれど、元々このnoteも私自身もウェブアクセシビリティについて考えるためのものなので、最後はウェブアクセシビリティでしめさせて頂きたい。

一般的な意味としてマイノリティは「少数、少数派」、また数が少なくないわけではないが差別であったり社会構造上弱い立場に置かれている人とされている。

だがここまで見てきたように、誰もが置かれた場所によってマイノリティでありマジョリティなのではないだろうか。普通って何だろう? 私、普通?

マイノリティには様々なものがある。全部理解するのは容易ではなく、しようとしてもその負荷が大きくなることは否めない。
ウェブアクセシビリティも同じで、高齢者や障害者に配慮することが主ではあるものの、これを特別なこと・特別な配慮と捉えると負担が大きくなる。

ヌネスのようにおごることなく、ピンゲラップのように知識がない故に恐れることなく、共に生きることを前提にして先ず一歩進むことがウェブアクセシビリティの始まり。
取り組みが進めばもちろん技術的な理解が必要となるシーンがあるが、先ずは使いづらさ(日常では「生活のしづらさ」)ゆえに、他の人に比べて欲しい情報に触れられない人がいるのだなと知るところから始めて貰えると嬉しい。

(了)

大学の提出課題締め切りも近く、時間確保も辛い今日この頃(汗)
そろそろコロッケパンの話をしたいです‥。

ヘッダー写真 撮影地 ニュージーランド ワナカ ©moya

最後までご覧いただきありがとうございます! 現在放送大学でPDFのアクセシビリティを卒業研究中。noteはそのメモを兼ねてます。ヘッダー写真はnzで私が撮影しました。 【ご寄付のお願い】有料noteの売上やサポートはnzクライストチャーチ地震の復興支援に使わせて頂いております。