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「聞く」ということ
子どもはよく、
なぜ、どうして、と大人に問いかける。
誰もがかつては子どもだったわけだから、
共感してくれるかな。
「ピョン吉は、何を聞いても笑い飛ばしたり適当にあしらったりすることなく、いつも私の質問に答えようとしてくれました。
なぜ雨が降るの。
どうして新幹線は速く走るの。
なぜ人は死ぬの。
本当に人は生まれ変わるの。
どんな問いかけにも、毎回真剣に悩み、答えてくれました。」
人の話を笑い飛ばすのは、
その話の重みを取り違えていたり、深く考えていないからことできてしまうこと。
笑い飛ばしてほしいと意図して話す場合を除いて、気持ちのいいことではない。
と、私は思う。
それはさておき、
父親とはどういう存在だろうか。
疎ましく、臭く、頑固な存在。
背中が広く、博識で、憧れる存在。
まぁ、いろいろあるだろう。
私は昔から父のことを尊敬している。
でも、特に理由はなかった。
なかったというより、気づかなかった。
優しい人だが、仕事が華々しいわけでも、特別頭の回転が速いわけでも、なにか秀でている趣味があるわけでもない。
自他ともに認める、よくいるおじさん。
ではなぜ私は父のような人間に憧れるのか。
それは、どんな話も「聞いてくれる」からだ。
最近になって、ようやく気づいた。
父は、私が物心つく前からずっと、すべての話や問いかけを流すことなく受け止めてくれていた。
その「聞く姿勢」「深く考える姿勢」を、私は無意識のうちに深く尊敬していたらしい。
解決策や正解を求めているわけではない。
ただ、ちゃんと、聞いてくれること。
それが何よりも大きなことだった。
私も父のように真摯に人の話を聞き、物事を深く考える思考を大切にできる人間になりたい。
こんな思いで、尊敬している。
笑い飛ばすことも、流すこともせず、
人の話をちゃんと聞く人間に、
そういうものに、私はなりたい。
もつなべ
白菜と豚肉のミルフィーユ鍋って天才ですよね。簡単おいしい失敗しない。癒しです。実際は ミル(1000)も無くて、10フィーユくらいですけどね。
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