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本音を聞かせてよ、が1番困る

ふと、生活のなかで感じる違和感について。
ここ数年、もやーっとする瞬間に気づいたので、今日はその正体について言及します。
現実ではこんなこと戯言だと言われるので、この場を借りて話してみることにします。
おんなじことを考える人が、世界のどこかにはいるはず、、、はず。


私はよく、
「全然怒ったりしないよね」と言われる。

大人からの評価は「常にニコニコ」
子供の頃は「大人っぽい」
義務教育の頃は「優等生」
対人関係では「常に優しい」
恋愛においては「隙がない」
仲のいい友人からは「本音が見えない」

言い方は変わっているものの、根本的には同じなのだろう。

たしかに友達と喧嘩らしい喧嘩をしたことはほとんどないし、人を悪く言うことや、誰かに強く物事を言うこともない。
嫌な人を排除しようとしたり、責めたり、否定することもない。
テレビを見て、この人は歌が下手だとか漫才がつまらないとか、冗談でもあまり言わない。

となると、私はめちゃめちゃ「いい人」なんだろうか。いや、でも、それはなんか違う。私だって人に嫌悪感を抱くし、嫉妬したり苛立つこともある。でも、それを「言わない」だけ。

嫌なことがあったり、嫌な状況になっても、柔らかく、曖昧に、濁してしまうことが多い。
その人が悪い、それは良くない、と決めつけることに抵抗があって、「もしかしたら」「かもね」「多分」こう言った言葉を好んで使う。
語尾についてもすごく気にする。「〜なんじゃないかな」「〜って思ったり、思わなかったり」

こんなのただの優柔不断だと言われたら、それはそうなのかもしれない。でも、今のところこのスタンスを変えるつもりはない。私にとっては、人を傷つけないことの方が大事だからだ。

ここまで読むと、なんだか聖人君主のような、すばらしい人格者のように思えてしまうけれど、決してそんなことはない。

これはあくまでも自分のためにやっていることであって、人を悪く言うことで、自分が嫌な気持ちになるのが嫌なだけだ。自分のことを後から嫌なやつだと思いたくないだけだ。別に立派なことでも、褒められることでもなんでもない。

でも、それを

「裏の顔がありそう」
「よくわからない」
「八方美人」

と言われると、なんだかつらい気持ちになる。
本音を聞かせてよと言われても、
これが私なのだ。
私は上辺だけで作られた人間なのかな、とか嫌なことを多少は言わないと人間味がないと思われるのかな、と悲しく思ったりもする。
もっと怒ったり愚痴を言える人間だったら生きやすいんだろうなと想像したりもする。

私のことを信頼していないから、
僕に心を開いていないから、
あなたの悪い部分や人としての本能的な部分を見せてくれないんでしょう?

と相手に誤解されたり、疑われたり、信頼してもらえないのも、悲しい。

私は基本的にみんないい人だと考えているし、もちろん例外はあるけれど、あんまり悪い部分について言及したくないだけ。嫌なことを人に言ってすっきりするタイプじゃないだけ。嫌なことを思い出すより、楽しい時間に目を向けたいだけ。

他人を責めても私にとって何にもならないし、悩みがあったらちゃんと相談するし、ただなんとなく他人を傷つけたくないだけだよ。ちゃんと信頼しているよ。

ただのちっぽけな人間だから、
頑丈な壁に覆われた秘密箱でも、
嘘で塗り固められたロボットでも、
ニセモノのおばあちゃんでもないからね。

こんなことは普段言えないから、とりあえずここに書いてみる。
なんだか少しすっきりした気持ちだ。



もつなべ




冬は夏が恋しいし、夏は冬が恋しい。ないものねだりですね。雨の吹き込むほったて小屋と、だるだるに伸びたTシャツがほしいと思う生活をしたいです。

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