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矛盾だらけのわたし

小学校高学年で、家を建て直して自分の部屋が出来ました。その家での思い出は、わたしは母に無視されることが多かった。何で怒らせたかは覚えてません。母は、自分の機嫌が悪いと口を利かなくなりました。1度ものすごく怒られて、机にあったペンやハサミなどが入ってる入れ物を投げつけてきました。怖かった。

無視してる母に「許して欲しい」と許しを乞うことはしなかったんです。(母が喋りたくないなら仕方ない)って思ってました。(母が嫌がることはしたくない)って気持ちだったんです。なので、母が嫌がるであろうことは、全部秘密でした。わたしは、すぐに自分の部屋に逃げてました。
そうすると、今度はわたしの部屋を勝手に掃除するようになりました。ものすごく嫌でした。それを言うと「掃除されて困ることでもあるの?」って言われて、心臓がドキドキして怖かったです。何か不都合なものがなかったか?母の機嫌はどうか。ビクビクしてました。
母はその時のことを「香がそうやって反抗してるなら、まぁ頑張りなさいって思っていた」とわたしが無視し出したみたいに言うけど、完全に母からでした。
長い時は1週間近く。ご飯も一緒に食べない。1週間卵かけご飯を食べていたこともありました。家にいるのが嫌でした。落ち着かない。いつも怖がっていたんだと思います。「あなたの考えてることがわからない」「あなたのことが分からない」といつも責めるように言われてました。その度に息が苦しくなってました。
その頃は、自分の本心なんて話すことすらできない。というか、自分が何を考えてるのかも分からなかった。口ごたえすると「今なんて言ったの?」って「悪魔にやられてる」「なんのために聖書を勉強してるの?」って責めるように聞かれることが怖くて。どんどん、自分の感情がわからなくなっていたんだと思います。
その頃は、まさに二重生活を送っていました。母の前では「エホバの証人の娘」として、でも、学校では普通の友達とも遊びたいし、用語でいうところの「世の交わり」をしていました。

どの頃は暴力というよりは、無視される→「何か言うことはないの?」と聞かれて→「ごめんなさい」と言う。の繰り返しでした。

両親は大声で喧嘩することもあって、それを部屋で聞いていて怖かったです。
父は、わたしと一緒で無視されてることも多かったです。珍しく家族で出かけるってなって、でも、なぜか母は行かない。そして無視。という事件があって。今思えば、夫婦仲は良くなかったと思います。一度母に「私たちが離婚したらどうする』って聞かれたことがありました。
わたしは「パパとママが決めたなら」って答えました。そしたら「何なの?その考え方は!離婚してもいいの?」ってとっても怒られました。きっと母の正解は「離婚しないで欲しい」だったんだと思います。
でも、わたしからしたら(何で父みたいな人と結婚したんだろう)って疑問で、
そして母がしたいなら(母がしたいことならするのが正解)って思っていたんです。いまだに、何で怒られたんだろう?って思う。

母は、自分が親に愛されないで育ったことや、義理親や姉にどんなふうにいびられてきたか、父がどんな人か、セリフは今でも覚えているぐらいわたしに同じことを何度も話していて。わたしはそれを聞く度に腹が立って父も含めてみんなが、好きではありませんでしたし、わたしは母の味方だからとか思ってました。

わたしは、なんか矛盾してるようですが母から愛されたいと思っていて、でも母が怖くて、母に無視されたくなくて母の機嫌を悪くさせないような子供を演じてました。

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