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涙が落ちる胸を貸して

CRYAMYのまほろばという曲について文章を書く。この曲は大好きなフォロワーさんが「時速ファンに勧めるCRYAMYはこれ!」と教えてくれた曲のひとつだ。

今日は自分の気遣いとか優しさとか(自分で言うのも傲慢だが)そういうわたしが意味を持たせているものたちが全く他人に伝わっていないことを知って苦しくなった。

仲良くなれそうだったひとと一緒に話して楽しんでいるのはわたしだけで、相手にとってわたしは事務的な手助け人員に過ぎなかった。初対面から無愛想に来たあの子は、男相手に愛想をふりまいていた。

相手を不快にさせないように、少しでも楽しんでもらえるようにと考えていたことは、どれも意味を成していなかった。学費を払ってもらって通っている大学なのに、楽しい土産話などほとんどできなくて、申し訳なくなる。

わたしがもっと明るかったら、器用だったら、そんなifが止まらない。いつまでこんな日々を過ごすのだろう、不安と息苦しさでいっぱいだ。

そんな今夜のお供はCRYAMYの世界とまほろばだった。世界についても文章が書きたいので、体力があれば近々書こうと思う。

まほろばは、聴いて泣けてくるときと楽しくなるときがある。私はこの曲のリズムやメロディーが大好きなので楽しく聴くことも意外と多い。

ただ今夜は前者だった。前置きが長い!

「ただ言葉足らずを許し合って」は色々な解釈ができると思っていて、でも個人的に好きな解釈は(相手の言葉足らずを許して相手を嫌う自分も許す)という解釈と(自分の言葉足らずを許してあげる)というシンプルな解釈だ。このフレーズを聴いていると、自分が肯定されて、心に絡んだ鎖のようなものがほろほろと溶ける。

ちょっと安心して、CRYAMY愛が溢れて、スマホを抱きしめずにはいられなくなる←元気そう

「悲しみはすべて朝に返そう」も、平日だと少しウッッてなるけど今日は土曜日だから素直な気持ちで入ってきて…直前の星空の歌詞と相まってそれはそれは煌めいてて…

こうやって時間を共有しているだけでありがたくて幸せなのに、残ったら全部わたしにくれるんだって。ここまで優しくて真っ直ぐな人がいることが、薄汚い世の中の救いになる。

自分を見失っても行き違っても、CRYAMYはみつけてくれるんじゃないかと、なぜか一心に信じてしまう。信じさせてくれる。

ありえない銀に目が焼かれそうになったら、CRYAMYに顔をうずめれば良いんだと思う。世の中には強い人も居て、そういう人は銀を見続けた先で何かを手にするのかもしれないけれど、銀から目をそらすことだってなんにも悪くないよ。

そして優しくすることでしか自分を肯定できなくて、それなのに伝わらなくて、何が正しいのかわからなくなった私を救ったのは「優しくなくても構わないまま 正しくなくても構わないまま」だった。どうなってもいいから一緒に生きたいなんて、そんな見返りを求めない形の救いに縋ってもいいんですか。

至福と平和に満ちた遠い土地、まほろば。ちゃんとまほろばの意味を説明できないと思い調べたら、こんな意味が載っていた。

なんて素敵な温かい言葉なんだろう。これが日本の古語なのもいいなと思った。

至福と平和に満ちた遠い土地、そんなところがあるのなら早くいきたいね。でも醜く命を燃やさなければならない。CRYAMYのまほろばを聴いている4分56秒間のまほろばで、生きていかなければならない。

カワノさんがどんな気持ちでこの曲名をつけたのかは知らないが、鬱屈とした日常に嫌気がさしたらCRYAMYのまほろばに来ていいんだと思う。実生活で生きづらさを感じていても、息ができる場所がひとつ増えた。

小さな視野で自分の周りを見ても大きな視野で世界を見ても嫌になることばかりの今だけれど、涙が落ちそうになったらまほろばに来てCRYAMYの胸を借りようと思う。

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