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めんどくさいことを引き受ける

前に↑こんな記事を書いた。

先般、顧客向けサービスとして協業を考えている者と懇談したのだが、全てチャットツールを使ってほしいと言う。

僕自身はいいのだけれど、僕の顧客にはIT対応が難しい方も多く、「ITが無理だからおたくにお願いしたい」というニーズが結構ある。

とすれば、チャットツールを使ったサービス提供は難しく、この者との協業は難しいな、と思った次第である。

全くITが使えないという人はいずれいなくなるのかもしれない。
しかし、まだ当面はITが無理な人はいるし、将来的にITに慣れ親しんだ人ばかりになっても得手不得手があるから、できればアナログな手段を取りたい人もいるだろう。

そういうニーズを拾えないとダメだと思う。

それで、デジタルデバイスを使わないとなると、コミュニケーションは対面や電話になるが、時間は取られるし、直接訪問する場合は距離的な制約もある。
しかし、仕事というのはめんどくさいことを引き受けること、という側面があると思う。

コロナ禍より前からクラウドストレージやチャットツールを使って仕事をしてきた身としては、コミュニケーション手段をデジタルにしてもめんどくさいものはめんどくさいのであるが…。

アナログだったものをデジタルに置き換えるとサクッと済ませられる、そんなイメージがあるかもしれない。
実際にサクッとできるようになったこともある。
だが、何でもそんなに単純化できるように人間社会はなっておらず、個人の事情のようなめんどくさいものを引き受けないと仕事にならないことも多いのである。

また、デジタル化を盾に人間のめんどくささを切り捨てるのも強引な話である。
このあたりは労働人口が減少しているため、一人が引き受けられるキャパに限りがあるので、難しいところだが、難しいといって大ナタを振るうのは違うだろう。
人繰りが難しいというこちらの事情も説明しつつ、簡潔に済ませられるようにネゴするなり工夫すべきだと思う。
顧客なり受益者も「昔と同じ」ではないのだなと意識をスイッチする必要がある。
役務提供する側とサービスを受ける側が歩み寄ることが重要なのである。
難しいけれど。

めんどくさいから嫌と思うか、めんどくさいけれど嫌じゃないと思うか。
自分の仕事が好きならば、めんどくさくてもこなせるのではないだろうか。

めんどくささをどれくらい引き受けられるかを仕事の好き嫌いの指標にしてもいいかもしれない。

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