来年の今ごろはきっと、と信じ続けた話
「来年の今ごろはきっと」
薬害でボロボロになった20歳目前。内臓もひどかったようだし、何より外見がボロボロになった。全身だ。
女子大生。思い返しても一番輝く時期ではないか。
「来年の今ごろはきっと」この肌も良くなっている、苦痛なく動けるようになる、メイクだってまた楽しめるはず。
それだけを心の支えにして生きていた。電車の中で二度見三度見されても、立っているのがしんどくて座ったら隣の人に舌打ちされ席を立たれても、すれ違う人にギョッとされても。
「来年の今ごろはきっと」を何度繰り返したことだろう。ずっと、その「来年」は来なかった。何年も何十年も。奇跡的に良くなる時期があったが、喜びもつかの間、またどん底だ。
横になるのも苦痛な体を抱えて、眠ったままで居られたらいいのに、目覚めなけれないいのにと願った夜は数知れず。
トラックに跳ね飛ばされてしばらく意識が戻らず、目覚めた時にはすっかり良くなっている。そんな夢想もした。
このころ、高いところに行くのを避けていた。突発的に飛び降りないようにするためだ。
「死」はあまりにも甘い誘惑だった。
その誘惑に勝てたのは、ただただ「この姿で棺桶に入れられてたまるか。見世物にされてたまるか」だった。横たわる自分に別れを言う人々を想像するだけで踏みとどまれたのだ。
つい最近まで、この絶望はずっと続くのだろうと諦める気持ちが8割と、それでも「来年の今ごろはきっと」の希望が2割の中で過ごしていた。
絶望はなんと長いことだろう。
30年願い続けた「来年こそ」が唐突に訪れたのは今年の初夏の頃だったろうか。
不思議でならない。何の理由で「取り戻した」のだろうか。でも理由は何でもいい。喜ばしいことだから。幸せなことだから。
いま言えるのは、希望を捨てなかった自分への称賛と、甘い誘惑に打ち勝てた自分の強さだ。
こんなに辛いのになぜ狂ってしまえないのだろう、と精神の頑丈さを恨むこともあったが、この精神の強さのおかげで今がある。
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