停滞といえば、そう。
久しぶりにPCを開いた。
数日…なんていうものじゃない。本当にもう、月単位。
こうして文章を書こうという気持ちになったからには、そこを逃さず書ききろうと思う。
思い返してみると、停滞(のようなもの)の始まりはKindleの執筆が出来なくなったことだった。まだ春だったような気がする。
いわゆるスランプ?
何を書くか決まっていて、なんなら表紙も完成し、数千字書いたところで
「なんだか書きたい事と違う気がする」
それを数度繰り返し、ついになーんにも書けなくなってしまったのだ。
つぎにnoteも書けなくなった。ついにはXのポストが難しくなって、リプライすら出来なくなってしまった。
今思うと〈文章を生み出すどこか〉がダメになったのかも知れない。
(体調不良に陥ったのもあるけれど)
それと同時に起きたのは〈コミュニケーション能力も笑えるほど落ちた〉こと。例えばXのスペースでも人と喋るのが一苦労。
家族(それとごくわずかの人)と喋るのは全く問題なかったことを考えると、大きく分けて〈発信〉に区分されるものが出来なくなってしまったのかも知れなかった。
こういうことが起こると
「わたし、どうしてしまったのだろう?」
と考えるし
「今まで普通にやっていたのに」
と落ち込むけれど、普通にやっていたことが出来なくなるのは何かのタイミングかな?と、先日ふと思ったのだ。
例えば
今までの人間関係が変わるときかもしれないし
やりたいことが変わってきた…も考えられるし
挙げたらキリが無いけれど、書きたいことが変わった(変わりつつある)のではないか。で、それがまだストンと着地していないのではないか。
書きたいことが変わりつつあるのなら、自分的には納得だ。
スペースで喋るのが難しくなったのも「わたしはこういう発信をしています=私はこういう人」が揺らぐのだから当然といえば当然。どの立ち位置から喋ればいいのか定まらないのだから。
この辺りが分かるまで数カ月かかった。そしてまだ分かりたてホヤホヤだ。
あともうひとつ。
我が家には娘が二人いるのだが、大学院に通うようになった次女にこれまでとは違う精神面でのサポートが必要になった。
グレーゾーンだが発達障害を抱える次女は、大きな環境に変化に弱め。大人になったので、いろいろな問題にぶち当たることもある。全く手探り状態で向き合うから、わたしの気持ちがほぼそちらに持っていかれていたようにも思う。
これは今現在もそうで、自分のキャパシティの中でのやりたいこと、やるべきことの比重の問題だ。
停滞といえば、そう。
そんな数か月だった。
でも、どこかに着地するための必要な期間だと考えれば、それもそう。
まだ明確な着地点は見えないけれど、もう少しのような気もするこの頃だ。
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