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生きる喜びと思っていたもの。
無理に手放す必要はないと思っている、でも、持っていてもこの先使うのか。いや、使わないだろう。その最たるものがダンスの衣装とその関連品。
フラと、タヒチアンダンスの衣装。
ドレスから天然素材のモレや、チョーカーやレイ、ヘッドやヒップベルト、楽器類やその他もろもろが山のようにある。6畳間にちょうど収まるくらい。
どれもこれも喜びや涙が入り混じった思い出が詰まったものたち。
「これはあの時の…」
「これは…」
そんな感じでひとつひとつが私を当時へとタイムスリップさせる。
ダンスから離れて2年?3年?
身体も心も限界がきて、お願いだからやめてくれと家族に懇願されるほどだった。わたしの幸せであり同時に苦しみでもある、10数年を振り返るとそれに尽きる。
年末ということで大掃除の一環でひとつひとつ取り出してみた。
どの衣装にも、悔しさ・苦しさ・辛さの記憶が刷り込まれ
ステージでの高揚感・音と曲の世界に混ざり合う恍惚感が刻み込まれて
胸が圧迫されるような何ともいえない感情がわき上がる。
教室を去って、こころの平穏を取り戻せたのは確かだ。あまりにもいろいろあり過ぎたから。
「おだやかになったね」
家族にもそう言われる。私もそう思う。
離れてよかったのだろう、そう思うけれどでも、踊りを忘れたことは一度もなくて、こころの一部をどこかに落としてしまったような感覚だ。
踊ることが人生だと思っていたし、生きる喜びでもあったから。現地まで行って本場の踊りを習った自分が、まさかこうして踊らなくなるとは思わなかった。
家でも、ひとりだろうと踊れるでしょう?
そうかも知れない。でもなぁ、レッスンを受けて舞台に立つのとは当然のことながら全く違うし、そんな場所から離れたという事実と向き合うことになるからか苦しくて仕方がない。
じゃあまた戻ればいいでしょう?
それも、そうかも知れない。でも、先生から受けたこころの傷や怒りが消えない。まだ手放せていない。
他の教室に行くのはどう?
幾度となく考えた。それこそ踊り始めて3年目くらいから探したりした。けれど、先生を上回るダンサーに出会えなかった。私にとって先生は神だった。「先生のもとを去るときは踊りをやめる時です」と何かの折に話したことがある。
だから、ただの趣味だけで踊りたいわけじゃないから不満が生まれてしまいそうだ。
久しぶりに、こんなぐるぐるする感情と向き合ってしまった。
断捨離しようとして衣装を部屋中に出したけれど、結局、また戻す。
この感情としっかり向き合うのが、もしかしたら課題のようなもののひとつなのかも知れない。いつも、顔を出すとすぐにしまい込んでしまっているから…持て余す感情に絡めとられそうになっているのが正直なところ。
でもこうして文章にしてみようと思ったのは何かしらの進歩なのかも知れない。
いつまでも堂々巡りはよくないな。
そんな年末だ。