梅雨のはしり

おく山のおどろの下もふみわけて道ある世ぞと人にしらせむ
後鳥羽院

立夏が過ぎた途端に、天気予報では関東でも早くも梅雨のはしりのような天気が云々といい、確かに東京地方でも今朝も雨が激しく降っていました。

コロナ危機、ウクライナ情勢と世情も相変わらず落ち着かず、時期的には五月病なども言われる頃で、天気が思うままにならないのはともかくとして、時代を生きていく心の有り様はこれまでにも増して注意深く気にかける必要があろうことは世の皆さんが思われるとおり。

冒頭の和歌は時代は遡り後鳥羽院の歌になります。
困難も乗り越え正しい政治を行なっていこうという内容のようですが、後鳥羽院は承久の乱後に隠岐に島流しになり都に戻ることもなく生涯を閉じることになります。

現代の世の中、特に海外の政治体制の存亡を見るにつけ、時代の変遷は常にあることで、元首や君主の没落というのは歴史的には記憶するくらいで何がしかの感傷はあまり感じないというのが実感ですが、実際に天皇・上皇でしかも政治的にも文藝的にも歴史を創り出したいというような思想もあった人物が、戦いに敗れ島流しになり余生を生きるというのはどれほどの心情であったか。

しかしながら上皇時代も含め隠岐に島流しになった後も和歌を詠い続けた人生が、
「後鳥羽院が後世の詩人に教へられたことは、その大様の文藝王國の精神であり、一人でそれを支へる詩人の決意である」(「後鳥羽院」保田與重郎 新学社)
として、新古今和歌集に始まり西行、芭蕉へと連なる侘び寂びの文化の発生に影響を与えたことに、そしてその悲痛な運命への向き合い方にも一方ならぬ感情を持たせてもらいました。

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