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世界の手食 (インド編)

<今後、専門家や旅行者も交えて世界の手食をまとめたweb archiveを制作する予定です。本記事はそのメモとしてまとめたものです。>
※随時加筆編集中

インドの手食はアーユルヴェーダの思想に基づいて行われているとも言われる。アーユルヴェーダでは五本の指に生命の5大要素があり、5本の指で手食することでそれらが一つに統合されて体のバランスが整うという考えらしい。この食べ方により、食事によって身体に栄養が摂取できるだけでなく、精神や魂の栄養にもなるという考えがあるようだ。

Through the thumb comes space
Through the forefinger comes air
Through the mid-finger comes fire
Through the ring finger comes water
Through the pinky finger comes earth

こちらの方の記事には「手で食べるってことは、世界を食べてるんだよ~5本の指はそれぞれ五大陸なんだよ~」と言われたと書いてあり、ジョークだとしても手食文化圏の人がいう言葉には説得力があると思う。


他にも後に引用しているjuthaの概念などが複雑に絡み合って手食のルールが形成されている.

<参考>


【インドでの手食方法】

指先の第2関節までを使って食べる。主には小指以外の指でご飯とカレーを混ぜて、第2指〜4指の指先に乗せられるくらいまでまとめたら、最後親指で口の中に押し入れてやる。

手のひらが汚れるのは汚い食べ方である。

【なぜ不浄なはずの左手でチャパティを持っている?】

写真のように、チャパティをいわゆる不浄の手である左手で持っていることについては以下のような文献がある.自分の皿は極めてパーソナルスペースなんだなあと思わされる.セネガルの大皿とはまた違う考え方だ.
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<- - -以下、引用元>juthaのみ表記置換
石田英明 1994「タブー、マナー、エチケット:インド―食事のマナーとタブー」 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所編『ASIA 21 基礎教材編』 第4号 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会 pp.113-117.

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それはヒンディー語でjuthaという「食べ残し、使いさし」に関する浄・不浄の問題である。もちろん、日本でも人が箸をつけた「食べ残し」は敬遠されるが、インドで言うjutha「食べ残し」はいささかニュアンスが違っている。例えば、チャパーティーというパンの場合、焼きたてが一枚ずつ出されることもあるが、すでに焼き上がったものが何枚か重ねて出されている場合もある。この場合、食卓を囲んだ人達はめいめい手を伸ばしてチャパーティーを取るのだが、その手は左手でなければならない。もし、右手を出せばどういうことになるのか。そこに重ねられた何枚かのチャパーティーは全てjutha、つまり、右手を出した人物の「食べ残し」となってしまうのである。鍋や皿から料理を取る時も同様である。その人が触るのは杓子やスプーンだけだから、それらが汚れるだけだと日本人なら考えるところだが、インド人はその料理全体がjuthaになると考えるのである。何か伝染力のあるエネルギーがその人のjutha「使いさし」となっている右手から杓子を通って料理に伝わり、料理をjutha「食べ残し」に変えてしまうということであるらしい。つまり、実際に口を付けたかどうかということではなく、言わば、観念的に口を付けたに等しいと見倣される訳である。一たび誰かがjuthaにしてしまうと、その食べ物は他の人には不浄のものとなってしまい、手を付けられなくなってしまう。従って、これはよく気を付けねばならないマナーなのである。(なお、「父、夫、神」がjuthaにした食べ物は穢れていないという考え方もある。確かに、神様のお下がりが穢れていては格好が付かない。)
さて、ここで誰でも考えてしまうが、チャパーティーを取る左手とはいったい何なのだろう。左手は不浄の手の筈である。その手で食べ物に触ってもいいのだろうか。この点についての明確な回答は私には分からない。

ある説明では、唇に触れるかどうかが重要な点であるらしい。つまり、左手は自分の皿に取る時にだけ使用され、口に運ぶのは右手だというのである。要するに、食事をしている本人には右手の方が浄なのだが、対人的には左手より右手の方が不浄性が強くなるということなのであろう。juthaの不浄性とはそれほど強いものなのである。

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