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[手食日記] 22.5.9

手食は脳にやわらかい
手食はいつもあたたかい
手食のあとにふとしたときに香る指先の匂い
食べて今日も生きているんだなあ

コンビニ弁当を手食でオンライン共食する会

を開催した。これは、味覚嗅覚障害の人の食体験の拡張として「手食」が有効かどうかを検証するプロジェクトの一環として実施したもの。やってみると、そこの検証は更にいくつかのプロセスが必要であることが分かったため、今回は言及しない。

とりあえず、「コンビニ弁当を手食したこと」が思いのほか衝撃的だったので日記にしておく。

参加者は京都(アーティスト)、滋賀(料理人)、北海道(味覚嗅覚障害経験者のデザイナー)にいた3名。セブンイレブンの「鯖の塩焼き弁当」と「おかかたっぷりのり弁当」にあたりをつけていたが、開催前夜にこれらの弁当は近畿限定品だということ、参加者のいた北海道の町にはセブンイレブンがないという事実が発覚。急遽、ファミリーマートなら対応可能ということで「明太海苔弁当」でいこうということになった。

迎えた当日、前夜に50円引きで買った者と、当日の朝イチで新鮮な弁当を確保した者と、北海道で夜中1時に配達されたものを電話で取り置きしていた者とがそれぞれに思いのこもった同じ「明太海苔弁当」を持ち寄った。

料理人の提案で、弁当を皿に移し、手食できる程度に温めて食べることとなった。

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料理人とアーティストは比較的手食に慣れており、デザイナーはジェルネイルなどもしており、今回の企画で初めて手食というものを経験した立場であった。

まずはタルタルソースの白身魚のフライから食べることにした。手食経験者の二人は難なく片手でちぎって食べられるのだが、デザイナーは「これは両手を使わないと無理なやつですね。本来は右手を使うのがルールでしたっけ?」などと言いながら両手を使ってちぎりながら食べていた。手食の研究であるし、我々は宗教的な背景もないので基本的には自由としつつも、デザイナーに片手で手食する方法をレクチャーしながら三人で食べ進めていく。

まず最初の手食の気づきとしては、コンビニ弁当のフライについてである。「ああ、この魚もいつかは生きていたんだなあ」と、食材の生命に対する意識が芽生えたのである。これは、魚を手食する時に身をほぐしていて、身が帯状にスライドしていく指先の感覚がそう思わせたことを確信している。箸で食べていたら、それらは直接歯で噛み切られてしまい、見過ごしてしまう感覚だった。

あとは、手食をした後に箸で食べてみた時の衝撃である。それまで手でおかずとご飯を混ぜて口に入れていたものを、ご飯はご飯、おかずはおかずとしてしか味わえない時のなんとも言えない無機質な感じ。食のハーモニーといおうか、そういう重層的な楽しみが途端になくなってしまったという寂しさを感じた。そして、冷めたご飯は手で混ぜることで一定の手の温もりを帯びた状態で口に運ばれていたのに、箸でただ冷めたごはんが口に運ばれた時のその冷たさといったら、どこか悲しい気持ち、孤独な気持ちすらしたかもしれない。

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もう一つは、手で食べていた時にまったく辛味の強くなかった明太子が、箸で食べた瞬間に脳の回路が追いつかない速さで辛さ、痛みとして脳に到達したことだった。脳がこの痛みに対してまったく対応する準備ができていない中での、急なアクシデント、脳の事故のような体験だった。

ここから体感としてしっかり分かったことは、話しながら片手でご飯を混ぜ混ぜしているとき、まるで指先に集中していないように見えても、指はしっかり無意識に情報をキャッチして、入ってくる食べ物について脳に準備をするように信号を送っているということだった。

一通り手食の意見交換をおこなって、仲間とのオンライン接続も途切れた後で、iPhoneをいじっていたら、どこからか香ばしい匂いがしてきた。あたりを見回すと匂いから遠ざかる。俯くと香る。そう、iPhoneをいじるその指から、手食で染み付いたコンビニ弁当の匂いがしていた。鼻を近づけると海苔の匂いがした。これも手食の醍醐味だなと思った。

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