見出し画像

松のお酒と松葉サイダーについて


もくじ


  1. 松葉サイダー一般について

  2. 松葉サイダーとはどのようなものであるか

  3. 松葉酒及びにその歴史について

  4. おわりに

  5. 参考文献


 1.
みなさん、松葉サイダーについてご存じでしょうか。
私は飲んだことも無ければ現物を見たことも無いのですが、どうにも流行ってるらしいです。
 典型的な方法だと、松葉と砂糖と水を入れて、瓶に入れるとサイダーが出来るそうなのですが、実際はあんまりおいしくないそうです、でもなにか雰囲気の良い技術ですよね。

 サイダーと言うのは二酸化炭素が飽和しているソフトドリンクだと出来ますが、瓶詰された松葉が飽和させるほど二酸化炭素を生み出す好気呼吸が出来るとは思えません(呼吸はC6H12O6+6H2O+6O2→6CO2+12H2Oで酸素が必要です)なのでアルコール発酵をする必要があるのですが、植物内でアルコールが生み出される事こそあれど(例えば柿の自然脱渋の過程などで生み出されるそうです)、松葉が単独でエタノールを発酵させる事は無い筈です(糖を松葉が即座にエタノールに転化するならば、松葉にはもっと多量のエタノールが含まれていないとおかしいので)。

 よって松葉サイダーが生み出される理由は松葉に付着する酵母が原因となるわけです。例えばワインも葡萄の実についている酵母によって発酵しますので、そこまではおかしい事ではないです。
 なので、一部で言われている松葉独自の酵素によるものであるとか、松葉の力によってサイダーが生まれる、と言うのは誤解であると思われます。(Google検索で見てみた時、今は最初のページにはすべて酵母によるものだと書いてあるようですが、昔の資料であると酵素によるものだとされているものがあるようです。おそらく酵素と酵母の混同だと思われます)
ここで疑問があります。ではなぜ松葉が漬けられるのでしょうか?


 2.
松葉サイダー、と言う単語が最初に確認できるものとしては2005年8月の『現代農業』における松葉サイダーを紹介する記事です。ここでは「かれこれ40年」作っていて、お孫さんと共に作っている旅館の女将さんの事が記事にされています。それ以外にも2006年6月5日発売の『うたかま.net』3号(郷土料理などの昔の知恵を扱った雑誌)などでも紹介されており、浸透に役立ったと思われます。
 それ以前にも”松葉サイダー”と言う言葉こそないものの、”不思議な松葉のサイダー”として『クッキングパパ』36巻(1994年08月19日 発売『モーニング』’93年23号~32号初出)で扱われており、サイダーっぽいと言う形容でありますが、松葉を利用した飲み物、と言う点で言えば最古の資料としては東城百合子氏(自然療法家の方です)の著作である『家庭で出来る自然療法:誰にもできる食事と手当法』(1978年5月22日 初版1978年4月説もあり)が最古となります。これは松葉酒の製法においてサイダーっぽい、と記述されたもので、松葉酒と松葉サイダーが殆ど完全に同一のものである事の大きな根拠になります。
 例えば”サイダー”も語源としてはciderであり、リンゴ酒を意味するシードルと同じです。またロシアにおけるクワスはライ麦で作られた微アルコールの発泡性飲料ですが、ソフトドリンクとして扱われる事が多いようです。
これらの事例や証言から考えても、70年±10年あたりから94年までの間に松葉酒が松葉サイダーと呼ばれるようになって行った、と考えることが妥当であるようです。有名などぶろく裁判(自家酒造を違法とすることが幸福追求権に反するのではないかと争われた昭和61年(あ)第1226号)は丁度この間である事から、密造酒の減少とともに内実は変わらずとも名前が変わったものであると思われます。


 3.
 松葉酒はどのようにして生まれ、どのようにして現代の形になって行ったのでしょうか?
その事を考えた時、薬用として松と松を使った酒がいつからあるかを遡らなければなりません。
 これに関する最古の資料はおそらく中国の清王朝(1616-1912)の周魯(生没年不明)の撰による『類書纂要』であり、出版は康煕三年(1664年)、250年ほど遡ることになり、ここでは松花が長寿に益する(松花を以て酒を飲む。老人寿を益す)と書かれてあります。
 また成文化されていない記録としては常陸国における徳川光圀(1628-1701,藩主であったのは1661-1690)の頃から伝わっていると言うもので、松葉を切り刻んだ酒を濾して飲む事があったのだそうですが、苦みや渋みが著しかったのだそうです。
 確認される限り最古の松の薬効を記す資料としては、中国における明朝の李時珍(1518-1593)による本草綱目(1596上梓)であり、「松葉は別名松毛、苦し、温にして毒なし、毛髪を生じ、五臓を安じ、中を守り、饑えず、天年を延べる。身に緑毛を生じ、身を軽んじ、気を益す、久しく服すれば、穀を断って饑えず、渇かず、則ち身軽く、不老延年す」と記述されています。

我が国においては貝原益軒(1630-1714)による『大和本草』(1709)が初であり、前掲書を照らして「食物本草誌に曰く、松花は一名松黄、味は甘温 、毒無し、心肺を潤し、 気を益し、風を除け、血を止め、亦酒を醸るべし」
と書かれてあり、この時期には酒を醸す事に一部使われていたのだそうで、18世紀には既に知識として松葉酒があった事がわかります。尤も、酒造に大規模に使われていたと言う記録はないため、実際のところはどうであったのかは分かりません。
 ちなみに料理人季蔵捕物帳(和田はつ子氏著)には江戸時代に松葉飴と言う酸っぱいような甘いような砂糖と松葉を混ぜた炭酸の甘味があったと言う記述があるのですが、他の情報も無い事、そもそもがフィクションである事などから、いかにもありそうな魅力的なガジェットとして後の産物を登場させたものであろうと思われます。
 また16世紀(1516年)のビール純粋令以前の欧州ではグルート(Gruit)と言われるホップ以外の香草を使ったビールが飲まれており、その中で苦みと風味付けに使われていた香草の中に松もまたあったのだそうです。
 しかし、我々は現代につながる松葉酒の歴史を語る上で、燦燦と輝く一人の人物について語らなければなりません。長山正太郎氏(1894-?)は発明家であり、エンドウ豆から醤油を醸造しようとして失敗、その結果魚醤などの魚介類を利用した発明に転換し、著名となった兵庫県の科学者です。その経験は横光利一氏によって小説『紋章』として出版、好評を博すのですが、彼の最大の発明がそれを元にして名づけられた松葉酒『紋章』であり、これが日本における松葉酒普及を決定づけただろう事は間違いないだろうと思われます。

 彼は常陸国に伝わる松葉酒が女子供に飲めないほどの味である事を問題に思い、科学の進歩とともに松葉にビタミンA,C、有機酸などが含まれることに着目し、1935年から研究を進めました。そして松葉にインベルターゼ(蔗糖をブドウ糖と果糖に分解する酵素)が含まれると考え、特許110924号によって糖液や蔗糖を工夫し、保存のためにアルコールを加えた不老長生酒を造ります。そしてその後にチョッパーや石臼を使い、長く熟成し麹菌を用いる事で味わいを良くした特許116559号、様々な有機酸や葡萄糖、薬草や果実を加えまた五味子を加えたものや、それらの白濁を透明に仕上げる事を考察した特許120700号があり、作家の菊池寛氏の出資により「紋章本舗」と言う会社を興し、1936年2月に前述の『紋章』として発売され、大阪朝日新聞に報道されるまでに至りました。

 『紋章』はこの年8月から翌年3月までに231石(41580ℓ)を醸造、アメリカ、フィリピン、中国、満州迄にも輸出され、発明奨励国産代用品工業展覧会にて帝国発明協会大阪支部長から感謝状を受けるなど、販売は上々であったのですが、日中戦争開始によって経営は圧迫され、戦中には7.5%の生産量への低下、自由販売の禁止などの憂き目に遭い、帝国陸海軍への受注を試み成功するものの大戦末期の資源不足によって失敗、戦後には米国や米軍第8軍司令部、中南米への輸出を試みるも失敗、1949年に雑酒の自由販売の解禁を受け、生産販売を試みるものの、52年には『紋章』の所有権を譲り、翌53年には「紋章本舗」も閉じる事となります。
 ここに松葉酒の歴史と言うのは一旦の終わりを見る事になるわけではありますが、松葉酒の製法において松葉に砂糖を添加し効果を期待する、と言う今の形はこの時期に成立したのであろうと推測できるわけです。
 ここから70年頃までの間には経済成長と共に酒の趣向も移り変わり、その間松葉酒は細々と私家で作りつづけられていたものであろうと思われます。

 また、この時期は長山氏の他にも様々な人が研究を始めており、特許こそ118458号と長山氏に後れを取ったものの、東京においては十余年の研究によって松葉と梅干の粉末を混ぜ、高圧の元に加熱し、大豆や高粱、蔗糖、麦芽糖などを加え発酵させ蒸留などした形式の松葉酒を造りまた松葉の採取時期や浸漬時間に着目した伊藤栄吉氏、特許は105073号とむしろ長山氏より早く、青松を粉末にした後に乳酸を混和し抽出、その後に糖を添加する松葉酒とし、現代的な松葉酒の先鞭をつけた人吉川常彦氏、林檎や昆布を利用した赤松を用いる近田良平氏の特許120637号、若芽や若い果実、花粉などを利用し麦芽を使った細田孝三郎氏の特許150126号、澱粉を元に酸分解や麹などを用いる桂正一郎氏の特許157566号などがあり、どれも商品化には結びつかなかったようではありますが、この時期の松葉に対する活発な注目を推し量ることが出来ます。



4.
 このようにして我々の思う松葉を利用した飲料と言うものは生まれ、そして一つのあり様として成立し、現在の形となったわけです。
長山氏は”科学戦士”とも紙面で呼ばれた研究者でしたが、その後に彼が大々的に宣伝した松葉酒は自然療法の寵児となり、21世紀になり、病疫によって幸か不幸かよりいっそう松葉と言うものは着目されるようになりました。
 技術と言うものは一時使われなくなったとしても、誰かがまた引き継げるものです。そして、それは背景の世界観に同意しなかったとしてもまた同じことであり、我々にとって松葉酒の歴史と言うものからその事を感じることが出来るのやもしれません。
 願わくは、松葉酒と言うものがまた日の目を浴びる事を思い、また、その事を祈ってこの文を終わりたいと思います。





 4.
参考文献(確認は2022/5/29,一部内容が確認できなかった為孫引きしたものがあります)

・日本釀造協會雜誌 47 巻 (1952) 12 号あんぽんたんの記 (二) 藥酒狂


・月間現代農業 2005年8月号 フシギな飲み物 松葉サイダー

・著者インタビュー 長山靖生先生(注.上記長山氏の親類) (Anima Solaris)

・What’s a Gruit Ale? (Kenny Gould,Hop Culture誌)

・うかたま.net 3号

・株式会社和漢薬研究所 松寿仙

・レファレンス共同データベース 『類書纂要』について知りたい。(近畿大学中央図書館)

・レファレンス共同データベース 「松葉サイダー」の作り方、成分
雑誌「現代農業」でみた。(神戸市立中央図書館)

・Web東京荏原都市物語資料館 きむら けん 下北沢X物語(506)~池ノ上の日影山銘酒「松葉酒」(上)~

・同上 下北沢X物語(506)~池ノ上の日影山銘酒「松葉酒」(下の1)~

・日本釀造協會雜誌 31 巻 (1936) 12 号 「ドベロク」奇談珍談集 東 希一郎

・神戸深江生活文化史料館 生活文化史<資料館だより> 38号(2010.3.31) 横光利一の小説『紋章』と永田酒造 大国正美

・紋章 (講談社文芸文庫) 横光利一
(ISBN-10:4061961853/ISBN-13:9784061961852)

・涼み菓子 料理人季蔵捕物控(時代小説文庫) 和田はつ子
(ISBN:9784758435703)

・クッキングパパ(36)(講談社コミックプラス) うえやま とち
(ISBN:9784063001396)

・家庭で出来る自然療法 誰でもできる食事と手当法(あなたと健康社) 東城百合子(ISBN:2300100200958)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?